the brave story/zero
[1]
――モット、チカラヲ。
それが、ムスタディオが最後に聞いた声だった。
聖天使とは名ばかりの血塗られた悪魔、その囁くような断末魔。
後方から支援狙撃を行っていたムスタディオにも何故か届いた。「音」ではなく、心に響く類だったのだろう。
背骨が凍りつくような悪寒と共に、魔法を修めていない彼でも瞬時に理解する。
聖天使アルテマは、ムスタディオ達が今まで戦ってきたルガウィ達とは一線を画した、絶望的な力を引き出そうとしている。
――しかしそれは、彼が客観的に戦況を見る立場にあったから理解できたものだった。
最前線に立ち、斬り合う仲間達にはそんな余裕はない。
朽ち果てた飛空挺の甲板の上、動きを止めて小刻みに震え始めた巨躯を前に、彼らは剣を握り締め、次に起こる事態に備えて緊張を漲らせている。
だが満身創痍だ。
おそらくその瞬間瞬間に対応するのがやっとで、「何が起こるか」を深読みできている者はいない。
ムスタディオを除いては。
「皆、逃げろぉっ!」
ムスタディオは絶叫しながらブレイズガンの引き金を絞る。
仲間達がその声に反応するのと、凍てついた魔弾が巨体を射抜き、氷の柱が炸裂するのはほぼ同時だった。
しかし――聖天使アルテマに漲っていた力が暴発するのも、また同時だった。
炸裂の瞬間を正しく認識することは出来なかった。
もはや痛みしか感じられないような蒼白の熱波にもみくちゃにされ、抵抗する間も出来るはずもなく意識が剥ぎ取られていく。
白熱した視界が暗転する一瞬の間に、彼は走馬灯のように最後に見た光景を思い出していた。
その場を離れようとした仲間達が、背中から吹き飛ばされていた。
この分では自分も仲間も助からないなと、どこか他人事のように感じる。
しかし一方で、何か奇妙なものを見た気がしていた。
それは、いくつかの薄い銀色の円盤だ。
一番近い物を記憶から引っ張り出そうと試みる。――たぶん、鏡だ。
アルテマが炸裂する瞬間。仲間の近くに、大小様々な鏡が浮かんでいた。
それは何故だろう、と考えることは出来なかった。
ほんの少しの違和感と圧倒的な絶望を抱え、彼の意識は暗がりに転げ落ちていた。
転げ落ちた先に、続きがあるなんて考えもせず。
[The brave story/Zero]-01
◇
爆煙の中、ちりちりと青白い燐光が舞う。
最初、その臭いが何なのかルイズは分からなかった。
何かに似ている。でもとんでもなく場違いな臭いの気がしてなかなか思い出せない。
――最初に見えたのは、黒っぽい足だった。
そうだ、と思った。これは肉が焼ける臭いだ。
厨房から匂ってくる食欲のそそられる香り。
――煙が晴れるにつれ、徐々に全景が。
けど、そんな美味しいものがどこにあるというのだろう。
今目の前にあるのは、肉が、
――衣服はボロきれのようにかろうじて体中に引っ掛かっているだけ。
――皮膚が剥げて垂れ下がり、ところどころ衣服のように体にへばりついている。
肉がボロボロに焼け焦げて、人間じゃなくなったような人間が転がっているだけだ。
ルイズの嘔吐する音は、巻き起こったパニックによる喧騒にかき消され、ほとんどの者の意に介されなかった。
コルベールが指示を飛ばし、何人かが慌てて怪我人を学院に運び、その他大勢も学院に戻される。
その中で、最後までルイズはへたり込んでいた。
誰かがずっと傍についていてくれたような気がするが、赤くて長い髪の誰かだったような気がするが、そこから記憶は曖昧で分からない。
我に返った時には、医務室外のベンチに座り込んでいた。
廊下には誰もいない。静かだと思ったら窓の外は暗くなっていて、二つの月が夜空高く昇っている。それをしばらく眺めた。
ぼんやりと、思うことがあった。
「ルイズ、気がついたの?」
声をしたほうを見やると、キュルケが立っていた。いつもと違い少し気の毒そうにしていたが、そんな機微を感じ取る余裕はルイズにはない。
「……まだ気がついてないわ。ていうか、私の召喚した使い魔よ。あなたが心配することじゃないわ」
「そうじゃなくって、あんたのことよ。ずっと呆けてたから、皆心配してるわよ」
心配。やはりぼんやりと考える。
誰が何を心配するというのだろう。
サモン・サーヴァントの儀式。
年に一度の神聖な、そしてルイズにとっては進級を賭けた、自らの価値を選定される儀式。
皆次々と、それが当たり前かのように使い魔を召喚していく。いや、事実それは出来て普通のことなのだ。皆にとっては。
ルイズは強がっていたが、内心ではどんどんプレッシャーが膨れ上がっていた。
表面上は誰に何を言われても絶対に認めなかった。
しかし自分が当たり前のことを当たり前にできないメイジなんだということは自覚していた。
だから勉強は本当にがんばった。
落ちこぼれが努力をしなければ、救いようがない。
ルイズより素質を「持っている」というだけで馬鹿にしてくる連中には、絶対に負けてやらないと思った。
けど、座学は机上の出来事でしかない。
実際に魔法を扱えなければ意味がない。
使い魔が召喚できない、進級できないとなれば、どうあがいても皆より劣っているんだと自分でも納得してしまいそうで――
――だから彼女には、もう後がなかったのだ。
『宇宙の果てのどこかにいる私のしもべよ!
神聖で、美しく、そして強力な使い魔よ!
私は心より求め、訴えるわ! わが導きに、応えなさい!』
そしてその結果は。
「……、う、うぅぅ」
不意に、止まっていた感情がうねり始めた。涙で視界が歪む。
「ちょ、ちょっと大丈夫!?」
「うるさい、ほっといて!」
背中に添えられたキュルケの手をはねのける。
涙は止まらない。キュルケの前で泣くなんて考えられなかったが、一方でどうでもいいと感じていた。
「とりあえず落ち着きなさいよ。ほら、食堂から飲み物もらって来たのよ。一緒に飲もうと思って」
両手にカップを握らされる。今度ははねのける気も起きない。カップの中に自分の涙が落ちるなと思ったが、それもどうでもいい。
どうでもいい。
何かが限界にきているのを自分で感じていた。
「……いくら、努力しても、む、報われないのよ」
だからもう、言ってしまってもいいか、と思った。
「え?」
◇
「皆に、絶対に、負けないって思ってたのに」
その弱音を、キュルケは信じられない気持ちで聞いていた。
だってあのルイズだ。
「家族にも顔向け、で、できないし、頑張って、きたけ、ど、ひっ、一つもうまく、いかないし」
キュルケの知るルイズ。
有名な家系の出なのに魔法は失敗ばかり。
でも皆のからかいにも負けず、必死に頑張る勉強家。
負けん気が強いいじっぱりで、気持ちに実力が追いついてないからトラブルばかりで。
だからこそ面白い。
それをからかうふりをして発破かけてやるのは、ルイズには悪いが本当に楽しかったのだ。
「な、何が強力、な使い魔よ。ひっ、く、何、が、神聖で、美しい、よ」
そのルイズが、弱音を吐くなんて考えたことがなかった。
嗚咽を抑えられないルイズの口から、切れ切れで弱々しい響きが漏れ続ける。キュルケは呆然と言葉を追う。
「や、と成功した、って、思ったら、あ、んなし、しにかけの人で。失敗も、いいところ、じゃ、ない。う、こ、こんな落ちこぼれの、どこを、ひっく、誰が、心配するって、いうのよ……」
「そ、それは」
自分は心配してる。そう言おうとした。ルイズの両親だって姉妹達だって、彼女のことを絶対大事に思ってる。
けどそれを彼女にまっすぐ伝えるのは少し気恥ずかしかったし、第一今それを口にしても、彼女の耳には届かない気がした。
そうして何と答えようかと戸惑っている間をどう捉えたのか。
コップに視線を下げたまま泣くルイズが、自嘲するように信じられないことを言った。
「わ、私は……どうせ、どうせ持たない者なのよ。ゼロなんだ」
何故かその瞬間――キュルケは頭に血が昇るのを抑えられなかった。
無言でルイズの目の前に立つ。
何か言ってやろうと思ったが、喉がふるえるだけで声にならない。
ルイズが不思議そうに顔を上げた瞬間、頬を打つ音が不謹慎なほど軽やかに、廊下に反響する。
◇
コルベールは医務室の机に向かい、書類を作成していた。
サモン・サーヴァントの儀式にて一人の生徒が召喚した使い魔についての報告書である。
自室で書くことも出来たが、何故医務室にいるかというと、『彼』の傍に居た方がありのままを正しく書けると考えたからである。
ペンを動かしながら、窓際のベッドを見る。
そこには一人の青年が横になっていた。
彼の外見的特長を書き出す。
金色のやや長い髪。
くすんでいるのは元々か、焦げたためか。
歳は10代後半〜20代前半。
民族は不明。肌の色はこの地域の人間と同じだが、顔のつくりがやや違う気がする。
背は高く、体格はしっかりしている。皮膚の8割を再生したので判定はしずらいが、ところどころ無事だった手や指の皮膚はかなり分厚い。
所持していたバックパック(外装はほとんど焼け落ちている)には見たことのない金属性の工具や部品、薬品や薬草等が入っていた。半数は焼けて使い物にならない。別紙に所持品のリスト記載。
また、同じく見たこともない銃を所有。このことから職業は技師か、傭兵かもしれない。
我々の生活圏から大きく離れた、未知の地域から召喚された可能性大。
召喚当初、重度の火傷を負っており、直ちに医務室に運ばれた。
水属性メイジ4人による1時間強の施術の結果、ほぼ完治。
簡単なリハビリを行えば、日常生活は問題なく送ることが可能。
なお、現時点で意識は戻っていない。
また、コントラクト・サーヴァントは行われておらず、正式に使い魔としての契約は結ばれていない。
そこまで書くと息をつき、ペンを下ろした。
疲れた目を閉じると、青年が召喚された際の騒ぎが目蓋の裏に浮かぶ。
酷い事故だった、と思ってしまう。
召喚自体は、成功までに何十回と失敗していたことから考えると、全くの成功だった。
しかし、言っては悪いが呼び出されたモノが非常に悪い。
通常は動物や幻獣が召喚されるはずなのだ。
それが人間だったという前代未聞の出来事に重ね、あの怪我。
生徒達は事故や戦いとは無縁の良い暮らしをしてきた貴族ばかりだ。
ショックが大きかっただろう。
コルベールは目を閉じたまま上を向き、眉間を揉みほぐす。
……自分にとっても衝撃が大きかった。
あんな姿は、かつて戦いの場でたくさん見てきたはずなのに。
いや、見てきたからこそ、こんな場所で目の当たりにしたくなかったのかもしれない。
そんなことを考えながら、外が騒がしいことに気付く。
もう夜だ。注意しようと立ち上がりかけた瞬間、殴打音が耳朶を打った。
コルベールが慌てて飛び出した先に見たのは、二人の女生徒が取っ組み合っている姿だった。
正確には泣きじゃくる女生徒が顔を真っ赤にした女生徒に組み敷かれている。
「な、何をしているんですか、やめなさい!」
コルベールは二人を引き剥がし――主に顔を真っ赤にした女生徒を取り押さえ――二人を確認する。
泣いている方は桃色のブロンド、痩せた体型のルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールだ。
今彼が押さえているのは真っ赤な髪に妖艶な体つきが特徴のキュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーである。
この対照的な二人は、口喧嘩が絶えないことで教師陣の中でもそれなりに有名だが、今日はことに酷かった。
まずルイズは泣きながら尻餅をついている。
着衣は乱れ、それを直そうともしない。人一倍貴族としての自覚が強い普段の彼女からは想像がつかない。
キュルケもキュルケで、我を忘れるほど興奮し、コルベールの拘束を逃れようともがいていた。
何があったというのか。
「ミス・ツェルプストー、少し落ち着きなさい。どうしたんですか、こんな場所で」
「……! …………!」
キュルケはふうふうと息を荒げるだけだった。興奮して言葉が出ないのか。
「ミス・ツェルプストー、お、落ち着きなさい。どんな時でも貴族たれと、いつも言われているでしょう?」
途端、もの凄い勢いでキュルケに睨まれた。
「貴族らしからぬ行動を取ってるのはヴァリエールの方です! あの子、自分のことをゼロって! 持たない者だって!!」
「だって、そ、そそうじゃない! な、なにがっ、貴族よ! こんな、こんな召喚だって失敗したのにっ!」
呆けたようにしていたルイズが急に大声を出したこと、そしてその内容にコルベールは驚くが、同時にこれは第三者の介入が必要な「修羅場」だと瞬時に理解した。
「ふざけたこと言ってんじゃないわよ!」
「ど、どどっちがふざけ――」
「やめなさい! 二人とも、口を慎みなさい!」
コルベールの一喝が響き渡った。
ルイズとキュルケは面食らった表情で言葉を忘れている。そんな二人をコルベールは見比べた。
威厳のないことで有名な彼が頑とした態度を表明するのはこれが初めてだ。普段のコルベールなら少しだけ優越感に浸りそうなものだが、珍しく「教育者」としてのスイッチが入った彼は、そんなことを考えていなかった。
彼は一連の口論の中で、自分の言うべきこと、正すべき彼女らの間違いを組み立てていく。
ついさっきまで『昔』を思い出させる者に触れていたからだろうか。
彼の思考はいつになく冷静で、澄んでいた。
キュルケを離し、ルイズの横に座らせる。
「まずミス・ツェルプストー、一つ尋ねたいことがあります。この喧嘩はどちらが先に始めましたか?」
「……私です」
「そうですか。ここは医務室の前です。そして、重体患者を収容しているということは君たちも知っているはずですな。いかなる理由があろうとも、そんな場所で喧嘩などをするのは許されませんぞ。まずそれを反省しなさい」
「……はい」
何かを言いたそうだったが、反論は許さなかった。そして、全くこちらを見ようとしないルイズへ意識を移す。
「そしてミス・ヴァリエール」
「…………」
「返事は? それと顔を上げなさい」
「……はい」
こちらを見ていないが、返事をしただけましか、と思う。
「『何が貴族だ』とは、何という発言ですか。ご両親が悲しみますぞ」
ルイズの小さな体がびくりと震える。
しかし、相変わらず視線を外したまま、何も言おうといない。
そのままの状態がしばらく続き、コルベールは少なくなった自分の髪を撫でた。火急のことだったので、カツラをどこかに置いて来てしまっていたことに気付く。一体いつから、自分はこの恥ずかしい頭を晒してしまっていたのか。
自分もまた余裕を失っていたようだ、と内心で自嘲した。
いかな教師といえど、自分に余裕がない状況で生徒を叱るのはよくないだろう、と普段あまり意識できていないことに考えが行く。
今までの自分の発言に言いがかりや言い過ぎがなかったかどうか思い返し、それからもう一度ルイズを見た。
◇
「持たない者……ですか。それは、自分が皆と比べて劣っている、ということですか? 今日の出来事でそう感じましたか?」
ルイズは何も言わず、座ったまま自分の両膝を抱いた。
さっきは動揺したが、何を言われても無視する準備は出来ている。もうどうでもいいのだ。
「確かに、死に掛けの人間を召喚する、これは失敗かもしれませんね。落ち込むのは分かります」
「……コルベール先生!」
「ミス・ツェルプストー、今は先生が話しています。――ミス・ヴァリエール、よく聞きなさい。今から君にも説教をします。
君のサモン・サーヴァントは成功とは言いがたいかもしれません。しかしその言い分はこの場では不謹慎ですぞ。人が死ぬか生きるかの重大な状況でした。まずはそのことを恥じなさい」
わずかに反応する。確かにそれは本当に自分が駄目だった、と思う。
けど自分が人間を召喚したことと、その人間が死に掛けで、大騒ぎになったことは関係がない。
死に掛けの人間を目の当たりにしたことは凄くショックだったけど、自分の落ち込んだ感情は自分のものじゃないのか。
……考えが支離滅裂で、しかもとんでもなく厭な考え方だ。
「そして、これは誇って欲しいんですが」
自己嫌悪でぐるぐるする頭で、ルイズはコルベールの言葉を聞いていた。
「君は、一人の人間の命を救いました。彼はおそらく、戦場か、災害の現場からここに召喚されたんでしょう。おそらく、その場にあのままの状態でいたら死んでいたような怪我でした。しかし君が召喚したことにより、トリステイン魔法学院による最大限の治療を受けることができ、峠は越えました。
彼は命を永らえています」
聞いているだけだった。
内容は頭に入ってくるが、それがどうした、と半ば自棄っぱちに思う。何を誇ればいいというのだろう。
あの人が助かったのは治療に携わったメイジの魔法が優れていたからだ。
「そう考えれば、君の功績は小さなものじゃないでしょう? だからそんなに泣くことはありませんぞ。
繰り返し言いますが、君は一つの命を救いました。そこには言い表せない価値があります。いくら成績がよくても、それをくだらないことに使ってしまうメイジもたくさんいます。そういう人間を本当の落ちこぼれといいます。
それに比べたら、君は本当に優秀な生徒ですぞ」
でも、彼らは魔法が使える。
同じ土俵に立っていないんだ、と思った。
また涙が出てくるのをルイズは止められなかった。
そこから先は再び記憶が曖昧になっている。
キュルケが痛ましそうな視線でこちらを見ていたのも、コルベールがどうにか自分を励まそうとしていたのも分かっていた。
それらは、少し嬉しかった。
嬉しかったけど、何度も思うように、どうでもよかった。
そう思い込もうとしていた。