the brave story/zero
[10]
◇
家から遺品を持ち出したシエスタは、かなり不満が溜まっていた。
家族にも不審げな視線を向けられた。自分も何一つ事情を説明されないので訳が分からない。
しかし、それが逆に興味をそそらせていた。祖母には謎がたくさんあって、皆不思議に思っていたのだ。シエスタは祖母のことが大好きだったから、彼女の本当の姿を知りたいという欲求は強かった。
最初は、ムスタディオの剣幕に押されて連れてきた。
しかしタルブの村に着いて家族と顔を合わせ、少し落ち着くと、逆にこれは祖母のことを知るチャンスだと気づいたのだ。
ムスタディオは、どうやら祖母について何かを知っているらしい。もしかしたら、何かを探りに来たのかもしれない。素性を偽った新たな調査隊なのかもしれないし(何で使い魔なんかやってるのかは知らない)、祖母の関係者で、消息を辿っていたのかもしれない。
改めて祖母は何者なのだろうかと思う。
どこかの国の重役? 確かに物腰は平民離れしていたし。
未知の魔法を開発した第一人者? 見たことも聞いたこともない魔法を使っていたし。
こうなってくると、想像力豊かなシエスタはどうにもむずむずが止まらない。
だから何が何でも何かを聞き出してやる、とちょっと強気になっていた。
正直不安だったが、家族に黙って祖母の遺品をもち出して来たのはそういう理由もあってのことだった。
むん、と普段は貞淑な心に気合を入れて墓地へと向かっていたシエスタだったが、その内大声が聞こえてきた。
泣き声だ。
あまりの激しさに最初は子供が泣いているのかと思ったが、それにしては声が太い。
大の大人、しかも男だ。
こんな激しさで大人の男の人が泣いてるなんて、尋常な事態じゃない。
慌ててその泣き声が聞こえる方――墓地へと走ったシエスタが見たものは、祖母の墓にすがりついて泣きじゃくるムスタディオの姿だった。
何が起こったのだろう、と今までの強気を忘れて一瞬ぽかんとした。
それからすぐ気がつき、危ないので剣から引き剥がしに掛かった。
[The Brave Story/Zero]-10
――それは、魂を全部吐き出そうとしているかのような慟哭だった。
シエスタがやって来た事に気付きもしないし、墓から離そうとしても動かない。剣を抱きしめているから手が出せない。
ムスタディオが落ち着き始め、シエスタのことに気付いたのはそれから随分経ってのことだ。
「ど、どうしたんですか?」
「……あ、シエスタ、ええと、その……ごめん」
そう言ったっきり、墓場に沈黙が下りる。
ムスタディオが落ち着くのを待つ間に自分自身すっかり平常心を取り戻してしまっていたシエスタは、何に対する謝罪なんだろうと考える。色々なごめんなさいが混じっている。我を忘れたこととか、無理を言ったこととか、でもそれだけじゃない気がする。
シエスタは持ち前の想像力を駆使して考える。
どんな切り口からだと、彼の口から真意を聞きだせるだろう。
地面に座り込んだムスタディオの隣に腰を下ろす。
「ムスタディオさんって、祖母を探していたんですか?」
考えた末の一言は、目に見えるほどムスタディオを狼狽させていた。その体が少しだけ震えている。
「……少し違うけど、そうだよ。その、なんて言ったらいいかな……探していたうちの一人なんだ」
「そうなんですか……本当に会いたかったんですね」
いきなり核心らしきところを突いたのはいいが、次が続かない。
「……えと、祖母とは、どんな関係だったんです?」
少し焦って下手な質問をしてしまうシエスタであった。沈黙が揺り返してくる。自分で話をぶった切ってしまったと頭を抱えそうになるが、かなり間をおいてムスタディオがぽつりと口を開いた。
「好きだった」
その内容に、思わずムスタディオの横顔を凝視してしまう。
何か、吹っ切れかけたような顔をしていた。
ただしその顔は――投げやりな方向へ向いている気が、する。
「……オレに、シエスタの祖母の消息を探してくれって依頼してきた人が、彼女のことを慕っていたのさ」
「そ、そうなんですか……」
少しほっとしかけるが、何か違うと思う。何か、友人の話と前置いて自分の相談をしてるような様相なのは気のせいだろうか。
この会話をどうするか悩んだが、シエスタは結局続けることにする。おかしな雰囲気だが、良い機会には変わりないのだった。
「その人って、どんな人だったんですか?」
「シエスタの祖母の戦友さ。君の祖母は、剣に秀でていただろ?」
「あ、はい」
シエスタは色々な人の話を思い出す。
タルブは何度か危機に見舞われたことがある。
オークや山賊の襲撃を受けたこともあるし、家畜を狼に荒らされたこともある。
しかし、そのいずれも撃退されている。祖母の手によって。
老いてもその力は衰えを見せず、シエスタが小さい頃にあったオークの襲撃の際なんかは、五体のオークが剣一本を携えた祖母になす術もなく斬り刻まれた。
「王宮の騎士様でも……あそこまでは強くないだろうって村にいる元傭兵の方が誉めていました。こんな人が何故こんなところにいるんだろうって不思議がってもいました。
子供達の間では、タルブの守り神なんて呼ばれて、男の子達のあこがれだったんですよ。あんな風に強くなりたいって」
神。そうだ、とシエスタはぼんやり考える。彼女は神様の使いか何かだったのかもしれない。空から降って来た船と共に現れ、何よりあの剣から繰り出される――
「光り輝く、魔法みたいな技を使ってなかったかい?」
考えていたことを先読みされた気がして、シエスタはぎくりとした。
「そ、そんなことまで知ってるんですか」
「何度も見たことがあるんだ……その、オレに依頼した人が」
(この人……何なんだろう)
シエスタの中で、純粋な疑問が膨らむ。
「祖母の戦友」とは誰なんだろう。年齢的に考えてムスタディオではないだろうが、でも不思議と彼のような気もしてしまう。
ムスタディオと祖母は、どんな関係だったんだろう。
祖母とは面識があるんだろうか。常識的に考えれば、そんなことはないだろうけれど。
さらに踏み込めば。彼は祖母のことを慕っていたのだろうか。そんなことってあるんだろうか。
考えるほどに袋小路に入り込んでいく。
でも――と、ちらりとムスタディオの横顔を見やる。
ムスタディオは墓に突き立つ錆びた剣をずっと見つめていた。
その剣がかつて放った閃光を、そしてその剣を構える祖母の姿を見ているかのように。
「オレに依頼した人は、シエスタの祖母と同じように、生まれた場所から遠いこの地まで来てしまったんだ。だからもう一度会いたいって言ってたよ」
とつとつと語る彼が、どんな気持ちでいるのかは分からない。
それでも、祖母の死を悼み、あんな風に泣いてくれた。
ムスタディオにとって、祖母はとても大切な人、それか何かの強い思い入れがあった人だったんだと分かる。
「そうなんですか……あの、ムスタディオさん」
――だから。
彼女が思い残した言葉を、伝えたほうがいいかもしれないと思った。
「祖母の遺品なんですけど……見ますか?」
「え……ああ、」
ムスタディオの体が、一瞬涙を堪えるように小さく震えた。「……見せてくれ」と鎮痛な言葉が続く。
シエスタは、手ぬぐいを地面に広げ、持ってきた手提げの中身――祖母の遺品たちを並べていった。
シンプルな髪留め、手甲、何か鎧のようなものの破片、指くらいの小さな金属の筒――祖母の遺品はそんなに多くない上に、何故これを後生大事にしていたのかと首をかしげるような物が多い。
そんな中に紛れていたある品を見て,ムスタディオが目を見開いた。
「こ、れ」
それは、シエスタがムスタディオに見せようとしていた品でもあった。
「それ、祖母が一番大事にしていたものです」
それは口紅だった。
他の品々と同じく熱で外装がかなり焦げているが、中の紅は無事だった。とはいえ、ほとんど中身は残っていない。祖母は冠婚葬祭の折にそれをつけ、時にはシエスタにもおめかしさせてくれたりもして、使い切ってしまっていた。
祖母はシエスタ以外の人間には、それを使わせようとはしなかった。
ムスタディオが紅の入った小さな箱を拾い上げる。
その指が震えている。
その表情が、信じられない、と今の気持ちを代弁している。
先ほどまでの諦観の色は消えうせ、そこには一縷の喜びさえ垣間見える気がする。
――シエスタは、その紅を初めてつけてもらった時のことを覚えている。
これは誰にも、夫にすら話したことがないんだけれど、と祖母が若かった頃の淡い思い出を語ってくれた。
祖母の昔の話を聞いたことは、数えるほどしかない。
だから、鮮明に覚えていた。
「祖母が若かった時に、男の人から贈られたものなんですって。
その人は、きっと祖母のことを慕っていて、祖母もその人への淡い気持ちがあったって言ってました」
結婚して、孫まで出来た今でも、いや今だからこそ忘れられない。そう言った祖母の声は、心なしか震えていた。何かを悲しむように。
そうして若かりし頃の美しさが垣間見える顔をほころばせ、子供には早い話でしたね、と言った。
シエスタは小さかったが、そういう人間の情緒が分からないほど幼くはなかった。
「こんなことになるなら、思いを伝えておけばよかった、とも言っていました」
思い出に浸りながら言ったので、シエスタはムスタディオの異変を悟るのが遅れた。
「……ははは」
最初に気付いたのは笑い声だった。
どう考えても笑い声が出る雰囲気ではなかったので驚いたシエスタはムスタディオをもう一度見る。しかしムスタディオはシエスタに背を向ける位置に立っており、その手が突き立った剣の柄を撫でているのだけが見えた。
次に気付いたのは、足元へ涙が落ちるぱたぱたという音。
泣いている。
ムスタディオは泣きながら笑っていた。
「あの……?」
なんて反応したら良いのか分からない。そもそも警戒心を完全に解いたわけではなかったシエスタは、やっぱり同僚達の噂は本当でこの使い魔は狂っているんだろうかなどと少しおびえ、おろおろしてしまうが――
「シエスタ……ありがとう」
――最後に気付く。
彼の声が、とても澄んだ感情に彩られていることに。
ムスタディオの体が、再び崩れ落ちる。その腕が墓と剣を抱く。涙が次から次へと溢れている。
その涙は、先ほどまでの悲しみだけによる物ではなくなっている気がした。
「あり、がとう。――本当に、教えて、くれて」
その顔が上を向く。空は晴れ渡り、いつもより天が高いように思えてしまう。
その空みたいに、ムスタディオの涙に濡れた笑顔は、力ない声は、澄んでいた。
今までの陰鬱な様子からは想像だに出来なかった。
「す、すくわれた、気がする。救われた……気がするんだ。本当に、ありがとう……」
――どんな事情があるのかは、やっぱり分からない。
彼はもしかしたら、皆が言うように気が狂っているのかもしれない。
だとしても。
その涙と笑顔は、何かとても尊い物のように思えた。
「……どういたしまして」
気がつけば、シエスタはぎこちなく微笑みながらそう返していた。
――力ない笑い声が、嗚咽を堪えるような音に変わる。
それからまたしばらくの間、ムスタディオは泣いていた。