the brave story/zero
[11]
◇
草笛の音が、たどたどしく、しかしだからこそ素朴に墓場に響く。
鳴らしているのはシエスタだった。
泣き止んで落ち着いたムスタディオが、ばつの悪さをごまかすために聞いてみたのだ。草笛を吹けるか。吹ける様だったら、自分にも教えてくれないか。
墓の外は、見渡す限りの草原が広がっていた。黄昏はじめた陽光が、それを金色に染め上げ始めている。
そんな様を見ていたら、無性に自分でも草笛をやってみたくなったのだった。
――思い出す。
こんな草原に野営する際は、いつもラムザが草笛を鳴らしていた。
一番の親友だった男と共に、父に習ったと言っていた。少しさびしげに。
彼らと過ごした日々。この世界にやってきてからたった数日で、距離も心も遠い、と感じたそれらが、再び身体に少しずつ染み渡ってくる気がする。
沈みゆく太陽を見つめる。
それは旅先で何度も見た夕暮れのように美しく、無常で。
それだけで、何かやっていけそうな気がした。
[The Brave Story/Zero]-11
◇
教えてくれ、と言ってきたムスタディオは、しかしいざシエスタが草笛を鳴らし始めるとその真似すらしようとしなかった。
草の上に座り込み、ただ聴いている。
旋律も何もなくただ鳴らしているだけなのに、すごく安らいだ表情をしていた。
シエスタは草笛に何か思い入れがあるのかなと考える一方で、この人こんな顔もするんだ、と変な感心をしてしまっていた。
ずっと鳴らしていると、段々疲れて空気が吸えなくなって来る。何だかムスタディオの安らぎを壊したくないと思ってしまったシエスタは、無茶をして吹き続けてみたが、 その内どんどん顔が赤くなっていくのを気付かれ、止められてしまった。
「…………」
なんとなく、気まずい沈黙が降りる。
何か話しかけなきゃいけない気がしてあれこれ考えるシエスタだったが、思いつく話題、彼への質問はどれもこの状況では地雷な気がしてことごとく二の足を踏んでしまう。
頭をぐるぐるさせている内に、ムスタディオから質問が来てしまった。
「さっきの遺品の話なんだけど」
「はっ、はい! なんでしょうか!?」
思わず大声を出してしまったシエスタに、ムスタディオが怪訝な表情をする。
「? ……ええと、遺品の中に、何か宝石みたいなのはなかったかい?」
「ああ」
それなら覚えている。
「大きな原石みたいなのですよね。ありました」
そういった瞬間、学院の朝のように掴みかかられそうになった。
「本当か! どこにあ……っと、わ、悪かった」
いきなりのことに悲鳴も飲み込んでしまったシエスタに、しかし途中で我に帰ったムスタディオが頭を下げる。
「だ、大丈夫です。びっくりしましたけど……あれも探しているんですか?」
「ああ。どこにあるんだい?」
まっすぐにムスタディオが見つめてくる。シエスタは少し気まずさを感じ、目を逸らしてしまう。
――それは祖母が、口紅と同じくらい大事にしていた品だ。調査隊の人間に持ち去られようとしたところを拒否し、隠し持っていたと聞いた。これもまた、シエスタにだけ見せてくれたのだ。
これは自分が墓の下に持っていかなければならない、と言っていた。
その言をシエスタは遺言とみなし、祖母の墓にたくさんの花束と共に埋めた。
……しかし。
「ごめんなさい」
シエスタはムスタディオに、頭を下げ返した。
「この村にはもう、ないんです。盗まれてしまいました」
シエスタはムスタディオに説明する。
葬式が済んで間もなく、墓荒らしが出た事を。
祖母の墓を含めたいくつかが荒らされ、宝石はその際に持ち去られてしまっていた。
「……その石には、何かの文字が刻印されていたはずだ……いや、その宝石の色は、何色だった?」
「深い青色です」
「――ヴァルゴか、なんてこった……」
ムスタディオが両手で顔を覆う。
その声には、悲しみや苛立ちなんかを通り越した「疲れ」が滲み出ていた。
「ご……ごめんなさい」
「いや、仕方ないよ。シエスタは何も悪くない」
しばらくして手を外したムスタディオの顔は、今までになく精悍な面持ちをしていた。
そしてその口から出た言葉に、シエスタは驚かされることになる。
「シエスタはいつ学院に戻るつもりだい?」
早く学院に戻らせてくれ、と。
ムスタディオの表情と、口調が言外の意思を物語っている。
「学院に戻るつもりなんですか?」
思わず聞いてしまった。
――だって、とシエスタは思う。村へ来る道中のムスタディオは、夜逃げしてきた人のような表情をしていた。
何を考えていたかは分からなかったが、鎖を千切った家畜のように、どこか遠くへと離れていく風にしか見えなかったのだ。
「……ミス・ヴァリエールともうまく行ってないんですよね」
「ゼロのルイズ」はしばしば使用人達の間でも話題になっている。というより、貴族を快く思わない人々の間で密かにこき下ろしの対象になっている。シエスタはそういった話に加わった事はないが。
決闘後は特にその話題でもちきりで、その中でムスタディオとルイズの仲のことも聞いていた。かなり険悪で、使い魔が主に虐待すらされている、と。
シエスタがムスタディオが逃げようとしていると思ったのも、その噂を知っていたからだった。
「そんなことまで知ってたのか」
「はい、かなり酷い扱いを受けているって。その現場を、使用人仲間が見たことがあるって」
言いながら、ルイズへのほのかな敵意が胸の中に灯る。
シエスタは、祖母のことを理解してくれ得る存在としてムスタディオに好感を抱きつつあった。それだけに納得し難いものがある。
「……うん、そうだな。あれは酷かった」
ムスタディオは色々な事を思い出したのか、弱った顔でため息をついた。墓標の一つと化した剣の柄を右手で握る。
すると、左手に刻まれていたルーンが光り始めた。鼓動を刻むように、光が強まっていく。何が起こっているのか自分でもわからないのか、ムスタディオ自身もその様子を眺めているが――その顔が、光に呼応するように引き締まっていくのをシエスタは見ていた。
「なあ、シエスタ、この剣を貰ってもいいかな? ……依頼主に、形見分けをさせてほしいんだ」
「あ、はい。家族にも聞いてみないと分からないですけど……事情を話せば、たぶん大丈夫だと思います」
ず、という音に少し驚く。シエスタがそう言った瞬間、ムスタディオが墓から剣を引き抜いたのだ。
錆びた剣を、ムスタディオが構える。正眼だ。祖母が教えてくれた。そしてその構えは、剣を持った祖母の立ち振る舞いと驚くほど似ていた。
まるで、祖母の戦う様子を見ていたかのように。
ルーンの輝きが増す。
「彼女なら、きっと逃げないと思うんだ」
その姿に半ば見とれていたシエスタは、え? と聞き返してしまう。
少しの間の後、何かの覚悟を決めたようにムスタディオが口を開いた。
「たぶんさ、オレはあそこから逃げてきたんだ」
懺悔をするように。一言一言ゆっくりと吐き出す。
「仲間の手がかりを探しに来ただなんて、もちろん本当だけど……言い訳さ。ここに来る途中で、何度もこのまま姿をくらますのもいいかななんて考えてた」
そこで、ふとムスタディオの表情が和らいだ。
「尊敬していたんだ、シエスタの祖母のこと。……彼女は、本当に高潔な人物だった。その、話に聞いた分ではさ。
うまく言えないけど、オレや依頼主は、彼女に恥じない生き方をしなきゃいけない。ここに来て、シエスタの話を聞いて、今、そう思ってる」
自分に言い聞かせるような様子だった。ムスタディオは、ええと、だから、学院に戻ろうと思う、と言葉を続ける。
「……オレはヴァリエール様の使い魔だ。それは押し付けられたものだけど、そうなっている以上、お互いが納得が行く方法で決着をつけなけりゃいけない。
こんな、逃げ出すなんて卑怯だ。君の祖母ならきっとそうするだろうし……うん、君の祖母ならそうする。ならオレは逃げるわけにはいかないよ。
他にも、とても重大な義務をほっぽり投げて来てしまった。……悪いね、変な話しちゃって。何のことかわからないだろう?」
「はい、よく分かりません」
シエスタは素直にそう言った。ムスタディオが苦笑する。
彼がこの場所に来て、何を思ったのか。それは自分には推し量れない。シエスタは先ほどの涙を見た際にそう悟っていた。
彼と祖母の間には、自分には見る事のできない絆があるように思える。
しかしその絆がいつ生まれたものなのか。彼と彼女の間にいかなる接点があったのか。よく分からない話だ。
ただ、一つ思うことがあった。
「ムスタディオさん、すごくまっすぐなんですね」
「へ?」
シエスタとしては素直な気持ちを口にしただけなのだが、ムスタディオは先ほどシエスタがしてしまったような気の抜けた声を出した。しかしその瞳は、今までストレスに苛まれていた様子からは想像がつかないくらい澄んでいる、ようにシエスタには見えた。
何の確信もないけど、きっとこれがこの人本来の姿であるように思えた。
「わたしも言えずにいたことがあるんですけど」
そのまっすぐさに応じようと思った。
それは決闘が終わってからというもの、ずっとシエスタの片隅で燻っていた後ろめたさだ。
「あの時、助けていただいてありがとうございました」
頭を深々と下げる。やっと言えた、と思った。
あの時。困り果てていた自分を助けてくれて、本当にありがとう。
草原に風が吹き、草が赤い海のように波打つ。
ムスタディオはぽかんとしていたが、自分が礼を言われる理由にようやく思い至ったのか、ぽつりと言った。
「シエスタの方こそ、素直だな。
……オレもヴァリエール様も、そのくらいまっすぐにならなくちゃ」
◇
――タルブについてから数日経った。
その間、シエスタは馴染んだ自分の故郷だというのにたくさんの驚きに遭遇した。
それは主にムスタディオについてである。
シエスタ達が乗ってきた馬車は、数日に一度しか村へやってこない。だからムスタディオはシエスタの家に滞在することになった。
その間の彼は、魔法学院で使い魔をやっていた頃が嘘のように快活な青年だった。
よくおしゃべりをし、色々なことに旺盛に首を突っ込み、その意外なまでのひょうきんさですぐに馴染んでしまう。
また手先が器用で身が軽く、痛んだ家屋、農具等の修理を進んで手伝った。その手際は村に一つだけの大工の一家が「お前、俺らの代わりにこの村の大工おやってくれ」と言い出すほどだ。しかし彼の本業は大工ではなく、修理工のようなものだったらしい。
年頃の少女がいきなり連れてきた妙な青年を、シエスタの家族は最初怪訝がっていたが、やがてその様子に対応を柔らかいものに改めていき、ついにはシエスタに「お前、良い男を連れて帰ってきたな」と冗談交じりで言うようになっていった。
村人たちからの反応も同じであり、シエスタはその度に恥ずかしがって否定したが、……実は心のどこかではまんざらでもない気分だった。時たま妙なことを言うのは祖母も同じだったので、好感の色眼鏡で見るシエスタにはそう気にもならない。
その時間はあっという間に過ぎていく。
しかし、ムスタディオのまっすぐな双眸は、もう曇りを見せない。
その様子を、シエスタは見ていた。