the brave story/zero
[12]
――ムスタディオが学院から消えて、二週間が経っていた。
されどそれで何が変わるというわけではない。
使い魔が一匹消えたところで大した騒ぎにはならない。
食事は三食取る。
授業は毎日みっちりある。
夜になれば男の子達が代わる代わるキュルケの部屋にやってくる。
それでもキュルケの頭の隅に、常に居座る罪悪感があった。
それは、ムスタディオとの和解をさせるためにルイズを追い詰めたのは自分であり。
同時に、ムスタディオが消えてしまったことでその機会が失われ、傷ついたルイズが再起不能になってしまったことから生じるものだった。
ルイズが部屋から出てこなくなって、一週間が経っていた。
ムスタディオが消えてからの一週間、ルイズは女の子として気の毒なほど恥も外聞もなく探し回った。
そうして見つけたものは、ムスタディオがどこにもいないという事実だった。
それからの一週間、彼女は一歩も部屋から出てきていない。時々使用人が部屋に食事を持っていっているようだが、食は細いようだ。
キュルケも何度か様子を見に行ったが、発破をかけようとなぐさめてみようと一切良い反応は返ってこなかった。
……ルイズはもう駄目なのかもしれない、と思った。少し悲しかった。
しかし、これはこれで良いのかもしれないとも思う。
ルイズを知るものが、誰しも一度は考えたことだ。
もし、彼女に本当に魔法の才能がなかったとしたら。
もし、彼女がこのまま魔法を使えず一生を終えるのかもしれないなら。
無駄なことはやめて実家に帰ったほうがいいのではないか。
キュルケは思う。
ルイズが幸せになる道は、メイジとして大成することだけなのだろうか。
ヴァリエールは公爵家だ。例えばお見合いなどしてみれば、引く手数多だろう。
今は酷く傷ついているだろうが、いずれそれも癒える時が来る。別の道を歩むことも出来るだろう。
これはこれで、一つの機会なのかもしれない。
キュルケは今日、そのことをルイズに告げに行くつもりだった。
彼女なりの、半端に口を出してしまったことに対するけじめのつもりだった。
しかし。
朝の準備を済まし、部屋を出たところで彼女の決意は挫かれてしまう。
扉を開けた途端、鉢合わせた人影があった。
キュルケは一瞬ルイズかと思って胸を湧かせ――別の意味で心臓が止まるかと思った。
その人達――そう、人影は二人だった――は、何か相談事をしていたらしく、朝っぱらの朝食にギリギリ遅刻するような時間、呑気に井戸端会議をしていた。それが学院の生徒だったなら、キュルケはそのような印象を抱いたはずだ。
しかし実際の雰囲気は真剣かつ沈んだものであり、そして彼らは。
キュルケが今最も会いたいと思っていた使い魔と、メイドだった。
「ブレイブストーリー/ゼロ」-12
◇
ドアノブががちゃがちゃと立てる音を、ルイズはまどろむ意識の端で捉えていた。
部屋の扉がノックされている。誰かの大声が聞こえる。開けて。開けなさいルイズ。大事な用があるの。話を聞いて。耳を塞いだ。開けて何をするのだろうと思った。何の話なんだと思った。ご飯はもういらない。誰の顔も見たくない。こんな使い魔に逃げられる落ちこぼれメイジの顔を晒したくない。
ムスタディオは、自分の行ないに耐え切れずに出て行ってしまったのだ。
ムスタディオに謝りたい、と思った。ここ一週間は、それしか考えてなかった。
自分の行いを清算したかった。
でなければ、何をする勇気ももう持てそうになかった。
そして、それは、きっともう出来ない。
母さま。父さま。ちいねえさま。あねさま。ごめんなさい、と思った。
自分は、もうここから動けそうにな
「入るわよっ!!」
鋭い声と共に、鍵をかけていたはずの扉が開け放たれた。入ってきたのはキュルケである。彼女は妙に興奮した様子でルイズがうずくまるベッドに一直線にやってくる。ルイズは布団を被ろうとしたが、剥ぎ取られてしまった。
「まったく、人が呼んでるんだから顔くらい出しなさい!」
「……何の用、ツェルプストー」
見つめるキュルケの情動がそのまま瞳の色に表れている。ルイズは気まずくて、目を逸らした。何を言いに来たんだろう、ともう一度思う。
彼女はルイズが部屋に篭ってから何度か現れ、その度に聞きたくもない言葉をルイズに突きつけていた。耳を塞ぎたくなる。
しかし、そんな陰鬱な思考は、キュルケの次の行動で吹き飛ばされてしまう。
「あなたまたそんな……っ、いいわ。今日は何か言いに来たわけじゃないの。本当はそのつもりだったけど。
ほら、あなたたち何まごついてるのよ! 入ってきなさいったら!」
キュルケが入り口に向かって大声を出し――入ってきたムスタディオと使用人を、ルイズは何もかも忘れて見つめた。
「……ただいま帰りました、ヴァリエール様」
それは、聞きたいとあれほど願っていたムスタディオの声だった。
すまなさそうにしている彼の姿は、二週間前と変わってないとも言えるし変わっているとも言える。服は同じ。担いだブレイズガンも変わらない。怪我がなくなっている。肌の色も焼け、普通の人と遜色なくなっている。
「……さっきそこでばったり会ったから。それだけよ。後はあなたたちで話をしなさい。じゃあね」
キュルケが出て行くがルイズは見向きもしない。ムスタディオを観察する目が止められない。隣の使用人はルイズの視界にすら入っていない。気まずい沈黙が流れる間、ルイズだけはムスタディオを凝視し続けている。
帰って来た。目の前にいる。
なんとか表層に浮き出てきた思考が、謝らなくちゃとルイズを急かしている。
「――何を、してたの」
うん、と思った。まずはわけを聞こう。消えた理由。
そしてそれを許せばいい。
「ミス・ヴァリエール。ムスタディオさんがこの二週間何をしていたか、私から説明いたしますわ」
そう言ったのは隣の使用人――よく見れば、それはシエスタだった。
この二週間の経過を語ろうとする彼女に、ルイズは言った。
「あなたには、聞いてないわ」
――あれ、と思った。
わたしは、いま、なんて、
「ムスタディオ。あ、貴方はこの二週間、何をしていたの?
ど、どんな言い訳をするつもり?」
シエスタが絶句し、ムスタディオが自分を見ている。
だが一番驚いているのはルイズ本人だった。自分は何を口走っているのかと思った。
あれだけ悲しんでいたくせに、シエスタの声を聞いた途端――無断で消えたことへの怒りが湧き始めていた。
それは心配の裏返しだったが、色々な気持ちとまぜこぜになって濁り、ルイズは自分の本心を見透かせなくなってしまう。
ただ、ムスタディオの視線が痛い。
「ヴァリエール様」
「……な、なによ」
ムスタディオは神妙な顔をしていた。その口から何が飛び出てくるんだろうとルイズは震える。
せっかく戻ってきてくれたっていうのに、これじゃ今までの繰り返しだ。謝るどころの話じゃなくなってしまう。
ルイズは泣きそうになった。
「無断でいなくなって、すみませんでした」
しかし――ムスタディオの口から出た言葉はルイズへの否定ではなく、謝罪で。
その次の動作。彼は両手を地面について、土下座をしていた。
◇
何を言われようと、どんな展開になろうと、最初から土下座しようとムスタディオは決めていた。
自分の素直な気持ちは、きっと言えば泥沼になる。だからただ謝罪の意思を、誠意を持って伝える。
墓の前で覚悟を決めてから、ムスタディオは色々なことを考えていた。自分がやらなければならないことと、自分が通すべき筋について。
その全てを考え、纏めたわけではないが――彼は、まず自分の主とうまくやっていくことの大事さを思っていた。
ルイズの協力をきちんと得られれば、ムスタディオに出来ることは飛躍的に増える。
そして何より。ルイズとの決着をつけないことには、自分自身前に進めそうになかった。
だから彼は、自分の気持ちを殺してでもまず謝罪することを選んだ。
「無断でいなくなって、すみませんでした。
長い間学院に戻らなかったのは、その、大怪我をしていたんです」
ムスタディオは、ルイズに説明する。とはいっても、自分が体験してきたことをそのままではない。きっと信じてもらえないから、シエスタと口裏を合わせた内容である。
――ムスタディオは毎朝洗濯の場で一緒になるシエスタとそれなりに仲が良く、あの朝シエスタのお使いに護衛と称してついていった。しかし道中で野生の魔獣に襲われ、撃退したものの大怪我を負ってしまい、近隣の村で昨日まで療養していた。
……嘘をついていることに、罪悪感が尖る。
「シエスタは一人で大丈夫だと言っていたんだけど、心配だったのでついていってしまいました。……その結果、こんなことになってしまいました。本当にすみません」
もう一度頭を下げる。シエスタが何か言いたそうにしているのを横目で見る。シエスタの立てた計画では、彼女も責任の一端を担うことになっていた。
勢いに任せて、ムスタディオは謝罪の言葉を重ねる。
「それと、今回のことで自分の勝手さに気付きました。
今までの態度とか、口汚さだとか、平民であるオレが貴族にしていいものではありませんでした。
もう妙なことも言いません。許してください」
地面に突いた両手が、微かに震えている。押さえつける。
自分の非だって、間違いなくあったのだから。この謝罪は、不要なものでは決してない。
そう自分に言い聞かせる。
「――そして、お願いがあります」
頭を下げたまま、ルイズの反応を待つ前に、口が先走っていた。それは本当ならまだ言うべきでないこと。シエスタと話し合った時、これは関係が落ち着いてからすべき交渉ですね、と決めていたことだった。
しかし、それを抑えられるほどムスタディオは冷静ではいられなかった。
「どうかコルベール先生と話すことを許してください。
生まれ故郷とは違う地へとやって来て、凄く不安を感じています。先生とはあちらでの仕事の話などが出来て、とても落ち着くことができるんです。さっきも言ったけど、おかしなことは話しません。
だから、どうか、許してください」
誰もがしばらく何も言葉を発しない。
身体の震えだけが増していくような沈黙の後。
ルイズの声がした。
「それが、行方不明になって、帰って来た途端に、い、言うことなの?」
頭を恐る恐る上げたムスタディオの目に映ったのは、今にも泣きそうなルイズの顔だった。
ベッドの上にぺたりと座り込んだ様子に、今更ながら目がいく。肩は弱々しく震え、俯いた拍子に桃色がかったブロンドがこぼれ、顔が隠れる。
「何よ、好き勝手ばっかり言って……」
「――ミス・ヴァリエール?」
好き勝手ばかり言っているのは貴女の方ではないか、とシエスタの顔に書いてあるのが見て取れる。何事か言いかけるシエスタをムスタディオは手で制した。
それは、ルイズ自身が一番よく理解している、と何となく分かったからだった。
「……あんなことになって、もう、も、戻ってこないって、お、も、思って、たんだから……」
ばか、と弱々しい声がした。
その罵倒を、ムスタディオは甘んじて受け入れた。
ついに枕に顔を押し付けてしまったルイズの声は、言葉尻が嗚咽に解けて意味を成さなくなっている。謝罪の言葉はない。でも、その様子で今は充分だと感じる。
何か言葉にしずらい感覚だったが、今までの関係が変化を迎えたと感じられる空気みたいなものが、その場に感じられたのだった。
◇
好き勝手ばかりしていたのは自分だとルイズは思う。
この期に及んでまだこんな口を叩いてしまうのかと思うと、ほとほと自分が嫌になって、泣けてきてしまった。
本当に泣きたいのはムスタディオの方であるはずなのに。
それがまた情けなくて、嗚咽が止まらない。
泣きながら、でも一方で安堵している自分がいた。
彼は自分とやり直してくれる気になってくれたのだ。
自分も、気持ちを入れ替えて接していこう、と思った。
前に進める気がした。
◇
窓枠に切り取られた、部屋の中の風景。
ベッドに突っ伏して泣き出したルイズに、おろおろした様子のムスタディオ。なんだか微妙な表情をしているメイド。
「彼、何だか感じが変わって帰って来たわね」
それを、少し遠くの上空からキュルケは監視していた。
部屋を出てすぐタバサの部屋に駆け込み、風竜に乗せて貰っていたのだ。
「土砂降って地固まる」
隣で本を読んでいたタバサがぽつりと言った。
「……そうね。これからどうなるのかしら」
キュルケはそう言いながら、目はずっと窓の中の様子を追っていた。
だから、気付かなかった。
タバサの眼光は鋭く、ムスタディオに注がれていることを。
タバサが右手で本を持ちつつ、余った左手はいつもはつけていない腰のポーチを触っていることを。
そのポーチには、拳ほどもある石が二つ入っていることを。
戻ってきたのね、という、吐息を漏らすようなタバサの囁きを。