the brave story/zero
[13]
その夜。
ルイズの部屋は、奇妙な沈黙に包まれていた。
いや、静かなのはいつものことだ、とムスタディオは思う。
思えば夜にこの部屋で会話らしい会話をしたのは、自分が目を覚ましたその日と装備品をコルベールから返却された時くらいだ。そのどちらも半ば口論だった。
それを鑑みると落ち着いているのは良いことだとすら思う。思うが。
何故だか、今日の静けさはいつもと違う意味で息苦しい。
「…………」
ルイズは湯浴みから帰って来てというもの、ずっと机にかじりついている。手元には教科書やノートを広げている。
話を聞くとここ数日ろくに勉強や体調管理をしていなかったらしく、湯浴みも三日ぶりだったらしい。恥ずかしそうに「……今日から色々しっかりしなくちゃいけないわ」と言っていたが、その割にペンを持つ手は小一時間動いていない。
たまに鏡や時間を見るために視線を机から逸らすが、ムスタディオの方もちらちら見ている、というかそちらが本命なのは明白である。
「……………………」
ムスタディオは黙々とブレイズガンの整備をしている。こちらは完全な手持ち無沙汰だった。
いつもなら簡易に済ませてしまう部分まで念入りに掃除し、動作確認に至っては二十回ほど繰り返している。今なら大抵の急襲には対応できそうである。
彼は彼で、ルイズの視線が気になって何もせずにはいられないのだった。
(……落ち着かない)
今まではお互いがお互いを無視しようとつとめていた。
が、今やお互いに関係のやり直しを意識しているのは明らかなのだ。これまでのように行くはずもない。
しかしかと言って、今度は何をどうすればいいのやら見当がつかないのだった。
「……ねえ」
と、その時ルイズが声をかけてきた。ムスタディオは焦る。
「どうしましたか? ヴァリエール様」
馬鹿丁寧な口調。これじゃ身構えてるのがまる分かりだ、と自分に呆れてしまう。
「そろそろ寝ない?」
しかしルイズの声も硬かった。考えた台詞を棒読みしてるような印象である。
「そ、そうですね」
それきり、沈黙が降りる。
なんだ、オレは何かまずい返事をしたのかと混乱していると、
「……着替えるから、外に出ていてちょうだい」
ちなみに今までそんなことを言われたことはない。
ルイズが着替えている間、ムスタディオは大抵後ろを向いていた。
「どうしたもんかなあ……」
廊下の冷たい空気にさらされながら、ムスタディオは腕を組む。良い考えは出てくる由もない。
今までの経験に参考を求めるが、そもそもあそこまでこじれた人間関係を修復しようとしたことが自分にはないことに思い当たる。
ゴーグで働いていた時は気の合う機工士達は自然と派閥のようなものを作り上げていた。なので大きないさかいはそうそうなかったし、ラムザやアグリアス達仲間は皆好い奴ばかりだった。
戦いの最中、対立した人間というのは沢山居たが――大半とは、殺し合いになってしまっていた。
彼らを必死になって説得しようとしていた、ラムザの姿を思い出す。
「……あー、くそ」
ばちん、と両の頬を叩く。
ラムザは常に自分が出来ること、すべきことを必死になって考えていた。
あの戦いの中、自分は手足であろうと心がけていた――しかし今思えば、それは次善ではあったが最良だったのか。
(できることは……たくさんあるはずだ)
そんな風に自分を鼓舞するムスタディオだったが、いつまで経っても部屋に入る了承が出ないことに首をかしげた。
「ヴァリエール様、もういいかい? 外は寒いし、入りますよ」
ノックして入室すると、寝間着をまとったルイズが一点を見つめたまま突っ立っていた。
視線の先を辿ると――部屋の隅に積み上げられた藁の束に行き着く。
「ねえ、ムスタディオ、ちょっとこっちに来て」
ルイズがベッドの脇で手招きをする。何か思いつめたような顔をしている。悪い予感がムスタディオの中でむくむく育つ。
ルイズの傍らへとおっかなびっくり行くと、彼女は何も言わずベッドに寝転がった。
そして、こちらを上目遣いに見上げて一言。
「……あんた、今日からベッドで寝ていいわ。藁じゃあんまりよね」
「はい?」
ムスタディオは、ハルケギニアに来て初めて間抜けな声を出してしまった。
さすがに同衾はまずいと思ったムスタディオは藁で寝たが、翌日、ルイズの部屋にはムスタディオ用のベッドが運び込まれることになる。
そしてそれは発端であった。
それからというもの。
ルイズは洗濯に始まり身支度の全てを自分一人でこなし、
食堂に行けばムスタディオの席を用意し(曰く、貴族たる自分の特別な計らい)、
授業中は自由時間にしていいと言い出し、どころかミスタ・コルベールのところへ行って来なさいよさっさと急ぐ! と尻を叩いてくる。
とにかくあまりの対応の代わり映えに――それを望んでいたとはいえ、ムスタディオは少しうろたえてしまうのだった。
「ブレイブストーリー/ゼロ」-13
◇
「い、いや……さすがに床を一緒にするのはまずいんじゃないか。ヴァリエール様は、ほら、嫁入り前だし」
ムスタディオが帰って来た夜。
ルイズはベッドの中で一人身悶えしていた。
ムスタディオの苦笑いを思い出すと、恥ずかしくて顔から火が出そうだった。
けどどうにも耐えられなかったのだ。
彼だけよりにもよって藁で寝ていること、それがもの凄い罪悪感となって頭を直撃した。これまでも悪いことはしていると感じてはいたのだが、素直でない性格が使い魔だからあれで当然なのよとかやけくそにさせていた。
「……うぅ、ううう」
顔を押さえながら唸る。
何故よりによってあんなことを口走ってしまったのか。
何よ、せっかくのご主人様の申し出を断って。何よあの生ぬるい苦笑は。優しくしてほしそうだったからしてあげたのに何なのよとか八つ当たり気味に考えながら、枕を抱きしめてベッドの上を転がるが、
「ヴァリエール様、大丈夫かい?」
そこでムスタディオの声が聞こえて飛び上がりそうになった。
「な、なによ」
「いや、何だかうなされてるみたいだったから。お腹でも痛いんですか?」
少し高めの、成人男性の声だった。ムスタディオはやや童顔のため、暗闇の中で声だけ聞くとギャップを感じる。
案じるようなその口調に、ルイズは彼にある何か大人びた部分を意識せざるを得ず、やや困惑してしまう。
「……なんでもない。ちょっと考え事してただけだから、気にしなくていいわ」
「そうですか」
しばらくルイズは息をひそめていた。会話はそれで終わったようだった。別段ムスタディオが気を悪くした雰囲気はない。息をつき、ころんと体の向きを変えて窓の外を眺める。
空は晴れ、満点の星と二つの月が見えた。
自分にとっては当たり前の、しかしムスタディオは驚いた双月。
何故彼は驚いたのだろう、と枕に顔をうずめながら考える。
以前は、気がおかしいのかもしれないと安易に片付けていた。
キュルケの言葉を思い出す。彼の言動を全部は信じられないけど、あの必死な語りかけを無視するのは忍びない、とかそういう内容だった気がする。
ムスタディオは、何を思って様々な行動に出たのだろうか。
そこでルイズは、自分がムスタディオのことを何も知らないことに改めて気付いた。
(……うん、決めたわ)
枕を頭の下に戻す。
明日から、それとなくムスタディオのことを観察してみよう、と思った。
今までみたいに出る杭を打つような監視ではない。
ムスタディオのためにしてあげられることがないか探すのだ。
そして、彼の行動の裏にあるものを覗いてみよう。
◇
そうして一週間が経過した。
ムスタディオは最初、何をするにもまずルイズに伺いを立てに来たが、ルイズは顔色を窺われているようで逆に嫌だったので、その内「やっていいことといけないことは自己判断に任せるわ」と突っぱねてしまった。
彼は驚いたようにしていたが、気持ちの良い笑みを見せてくれた。
そんな表情されたのは、初めてだった。
そして自由になったであろうムスタディオを観察することにする。
一週間毎日それとなく、あくまでルイズとしてはそれとなく観察を続けた結果、ムスタディオは三日目辺りから大体毎日やることが固まって来ていることに気付く。
朝、ルイズを起こして身支度を手伝う。といっても水汲みや衣服の用意だけである。これはルイズの方から言い出した。自分でも出来ることを彼にやらせることに、何かもやもやとした抵抗があったのだ。
朝食の場にムスタディオの席を用意してあげたのも、似たような理由だった。何がどう、という具体的な部分が自分でもよく分からなかったが。
そうして授業の時間になると、ルイズはムスタディオをコルベールの元へ向かわせることにしている。授業中傍にいさせてもよかったが、彼は技術者だったという。その手の話でコルベールと盛り上がっていた。
コルベールは少々生徒からの評価が低いものの、それでも教師であることには違いない。何よりムスタディオに興味を示している。
自分が勉学に励んでいる間、ムスタディオにも能力の研鑽に励んで欲しいと思った。
予想通り、ムスタディオはコルベールと機工学という技術についての議論を交わし、大いに充実しているらしい。話によれば、今度コルベールの研究室(とは名ばかりの掘っ立て小屋)の一角に工房としてのスペースを作ってもらえるとか。
とはいえ、コルベールはいつでも彼の研究室にいるわけではない。
コルベールが授業に出ている間、ムスタディオは何をしているのだろう――そう思ってある日後をついて行ってみると、彼は部屋に戻らず、厨房に入っていった。
「あ、ムスタさんこんにちは!」
「やあシエスタ、それにマルトーさん」
「……よお、ムスタ。今日も来やがったか!」
「そんなに邪険にしなくてもいいじゃないか。オレは貴族じゃないよ」
「魔法を使えるってんなら、おんなじことじゃねえのか?」
「マルトーさん! またそんなことばっかり言って! お手伝いに来てくれたムスタさんに失礼じゃないですか!」
「だれも手伝いに来いなんて言ってないぜ。こいつが勝手に来てるだけだ」
「そうそう、オレが好きで勝手にやってるだけなんだから、シエスタもマルトーさんも気にしないでいいさ」
「……好きにしな」
以上は物陰から窺った会話である。
コック長は気難しそうにムスタディオを睨んでいたが、それでもムスタディオを受け入れている風であった。
シエスタとムスタディオがやけに仲良さげにしている。というか「ムスタ」って何なのよと思う。いつの間に愛称で呼ぶような仲になったのか。
学院から居なくなっていた間に何かあったのよ、とシエスタに問い詰めてみたが、にっこり笑顔で
「秘密です。いかにミス・ヴァリエールであろうとも、お教え出来ないことがございますわ」
と慇懃無礼にあしらわれてしまった。
それが、授業中の話である。
放課後になると、ムスタディオはコルベールと一緒に小屋の傍で何かやっている。
最初は子供だましみたいな機械を炎の魔法で動かしていた(可愛らしい蛇がぴょこぴょこ顔を出し入れする)が、翌日にはそれは風車を自律回転させており、五日目には井戸の水汲みを自動で行なう機械が出来上がっていた。
これには驚いた。燃料効率の問題で実用には程遠いとか何とか専門的なことを二人は話しこんでいたが、ティーセットを持って遊びに来たシエスタがいたく感動していた。
「はぁい、ムスタ。今日も精が出るわねぇ。男の浪漫って素敵ね」
「……こんにちは」
「ああ、こんにちは。ツェルプストー様にタバサ様じゃないですか。今日はまた、どうしたんだい?」
「いやあね、ムスタ。キュルケって呼んでって言ってるじゃない?」
「いや……そりゃツェルプストー様は……」
「あん、あたしは身分の差なんて気にしないって言ってるでしょ〜」
「うわあ!?」
そこに、たまにキュルケがタバサとか言う小さな子を連れてちょっかいを出しに来る。
ここでもまた「ムスタ」である。いつの間に皆と打ち解けたのだろうか。これにシエスタが揃うと、皆で和やかにお茶会を始めてしまうのである。
他にも、シエスタ繋がりで使用人達とも仲がよいようだ。
ムスタディオの学院への根の下ろし方は、人間関係が不得手なルイズからすればどこか異常なくらい迅速であった。今までの様子からは想像もつかなかった。
それは色々な要因が重なった結果だったのだが、事情を半分くらいしか知っていないルイズには分かり得ないことであった。
……何か、面白くないと感じてしまう自分がいた。
彼ら彼女らはあんなにムスタディオと容易く会話している。
今までルイズが見たこともない表情をムスタディオから次々引き出していく。
自分は彼に気後れしてしまい、放課後の集まりに混じることすら出来ていないのに。
ムスタディオと過ごす夜も、未だに変なわだかまりがあって、うまく会話できずにいた。
しかし、それらのストレスを態度に出すのをルイズは我慢した。
それじゃ今までと変わらない、と思ったからだった。
――彼女はサモン・サーヴァントを成功させてからというもの、色々と考え込む癖が出来ていた。
奇しくも、使い魔であるムスタディオと同様に。
何が気に食わないのか。
それを解消するためにはどうすればいいのか。
ルイズはその二点を考えた。思考の袋小路に行き詰ると、悔しいけどキュルケの言葉を思い出した。手段を選んじゃいけない。
自分はムスタディオと和解して、良い主従関係を築きたいのだと思う。
そのためには何をすればいいのだろうか。