the brave story/zero
[14]
「ルイズがおかしい?」
キュルケは目をぱちくりさせて鸚鵡返ししてしまった。
放課後、コルベールの小屋の前である。ムスタディオとコルベールが作業をしているところへお邪魔し、もはや恒例となってしまったお茶会を催しているところだった。
お茶を一口飲んで、キュルケはムスタディオをまじまじと見た。あの夜キュルケの部屋で見せた鋭い眼光はどこへやら、落ち着きがない。
「あの子が変な子なのは前からだし、ムスタ、あなたが召喚されてからはずっとあの調子よ。というかむしろ、少し落ち着いたんじゃないかしら」
「ああ、それはそうなんだろう。対応はすごく変わったよ」
ムスタディオは歯切れが悪い。言葉を捜すように視線が宙をふらふらしている。
この一週間でムスタディオの性格は随分把握したつもりだ。竹を割ったようにからりとした、下町に住んでいそうな快活な男。洗練はされていないが多少のユーモアも持ち合わせている。
その彼が再びこんな風になるなんて、何があったのだろうか。
「ならいいじゃない。あなたあの時、優しくされた覚えはないって腐ってたじゃない。それに比べたら何の不満があるの?」
あえて煽ってみた。ムスタディオの主はあのルイズだ。悪いが問題が生じないわけがない。
「腐るって……まあそうだな、腐っていましたよ。優しくというか、以前のような剣呑な雰囲気は消えたさ。でも、何というか、」
「待った」
ムスタディオが怪訝そうな顔をする。
「?」
「これは相談よね?」
「ああ」
キュルケはにっこりと笑ってみせた。
ここ一週間でキュルケはムスタディオのことを好ましい友人と認めるに到っていたが、それとは別の次元でムスタディオはあのルイズの使い魔である。キュルケのいたずら心に火がつく。
簡単に言えば、ムスタディオを使って間接的にルイズをからかってやりたくなったのである。
「ねえダーリン、ゲルマニアでは何かを求める時には見返りを用意しなきゃいけないの」
「そうですね。オレもツェルプストー様に相談に乗ってもらうんだったら、お礼はするつもりですよ」
「ツェルプストー・さ・ま?」
「え?」
何か悪い予感がしたのだろうか、ムスタディオが若干たじろぐ。
「あたし、ムスタに散々言っているわよね。尊敬語なんて使わなくっていい、キュルケって呼んでって」
唇に指を当て、いたずらっぽく流し目を送ってみる。
ちなみにキュルケはムスタディオを誘惑する気はない。恐らくムスタディオには心に決めた女性がいる。百戦錬磨のキュルケの「女の勘」だ。
しかしキュルケに対して気安い口調で接するムスタディオを見たら、ルイズはどんな顔をするだろうか。
想像するだけで愉快な気分になる、いけないキュルケなのだった。
「The Brave Story/Zero」-14
◇
相談する相手を間違ったかもしれない、とムスタディオは頭をかいていた。
キュルケが適任だと思ったのだ。ルイズと顔を合わせれば言いあいばかりしているが、何だかんだいって一番気安い接し方をしているのは彼女だ。それに女の子のことをキュルケは熟知していそうだし、女学生たちをあしらう様子を見れば頭も切れるようだ。
教師陣やコルベールに尋ねてもよかったが、視点や立場的に、一番よい答えをくれそうだった。
しかしそんなキュルケの様子を見ていながら、ムスタディオは自分がもてあそばれるという可能性に思い至っていなかった。
「ねえムスタ、あなた女の子と付き合ったことっておあり?」
「う……いや、ない」
気持ちを確かめ合ったことだけは、この間、ある。
しかし後に自分が事実を知っただけであり、あれは「何もなかった」と言えるだろう。悲しいことに。
「あとあなた、今まで男ばっかりの環境で生きてきたでしょう」
「……よく分かるなあ」
彼は機械ずくしで育ったので、いかにもな年頃の女性に触れた経験がほとんどない。
周りの機工士は筋肉ムキムキの男どもばかりだったし、旅の仲間といた時はいた時で、数少ない女性達は傭兵や騎士くずれなど一筋縄ではいかない者達ばかりだった。
旅の最中、酒場で町娘と談笑することもあったが、娼婦みたいな類に誘惑されたことはなかった。慕う人がいたので、自然と避けていたのだ。
「当たり前よ。あたしの二つ名『微熱』は伊達じゃないわ」
キュルケは片眉をひょいと上げてみせる。
「でも、ムスタのはそれ以前の話ねぇ」
……なんでこんな話になってるのだろう、とムスタディオはこっそりため息をついた。
元々ムスタディオは女性があまり得意でない。
シエスタは妹がいたらこんな感じなのだろうか、という認識だったし、ルイズは今は手間のかかる従妹くらいに考えるようにしている。キュルケも四つも年下だし、誘惑された夜はそれどころじゃなかったから平気だったのだが、いざ平静になるとこんなものなのだった。
――最初はルイズの話題だった。
帰ってきてからというもの、ルイズの様子は今までとはまた変わった意味でおかしかった。
ムスタディオを従者みたいに扱わなくなった。洗濯身支度等は自分でするしご飯もちゃんとしたものを食べさせてくれる。拘束しない。
しかし何かの拍子にふと周りを見ると、ルイズがこちらを見ていることが非常に多い。何か気に障ることをしたのかと思うが何も言ってこない。元々会話はほとんどないのだ。でも視線だけはやたらと追いかけてくる。
今までのことがあるから、ムスタディオとしては用心を禁じえなくなってしまう。ルイズのあくまでさりげない監視は、思い切りムスタディオにばれていた。
……そういった類を話したのだが、話が進むにつれて、キュルケの顔が何故か呆れたものに変わっていった。
そして一言。「あなた女の子と付き合ったことっておあり?」
「……そのことがどう関係してくるんだい?」
「関係というか……逆に説明しずらいわよ。
あなた、実は慣れてると見せかけて本当に朴念仁だったのね。ミスタ・コルベールと気が合うはずだわ」
コルベールは小屋の中で作業をしている。例の自動井戸汲み機械を、限定的に厨房で使える物へと実用化を試みるべく奮闘していた。本人がいないのをいいことに言いたい放題なキュルケである。
「浪漫に生きる男ってそんなものなのかしら?」とため息までつくと「あのね」気を取り直した様子で人差し指を突き出してくる。
「あなたはルイズとどうしたいの?」
「そりゃ、和解したいさ」
「ルイズもきっとムスタと和解したいはずよ」
「……でもそれじゃ、あの警戒は一体何なんだ?」
ルイズが自分のことを気にかけている。それは分かる。
しかし、あの妙な様子はムスタディオからすれば警戒にしか見えなかった。
「……はぁ、不毛だわ。アドバイスはやっぱりやめるわ。自分で考えなさい。そもそもあたし、あの子のこと嫌いだし」
労働と報酬が釣り合わないわ、とよく分からないことを口にするキュルケにムスタディオは慌てる。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ! そこを何とか頼めませんか。使い魔なんてものをするのは始めてだし、どうしたらいいか分からないんだ」
「……使い魔はどの獣も初めてなるものよ。じゃあちょっとだけね。とりあえずあなたはもっとルイズと会話なさい。内容は何でもいいわ。例えば……あたしが今あの子のこと嫌いって言ったわね。その話をするだけで、小一時間は興味深い話を聞けるはずよ。
後は、トリステインの貴族のことをもっと知りなさい。あの子は貴族としての誇りが特に強いの。……あのいじっぱりは元々の部分が大きいでしょうけどね」
「最後のは何となく分かる気がするなあ」
「……多分それ、見当違いよ」
再度キュルケが憂鬱そうに言うが、その顔が一点を見つめ、思案するような間の後急に活き活きとなる。
何だろうとキュルケの見ている方へ顔を向けると――ルイズが庭を横断し、こちらへやってくるところだった。
「ほらほら、噂をすればなんとやらよ。うまくやってらっしゃいな」
何か嬉しそうな声音だ。どこの世界でも女は難しいとムスタディオは思った。
ルイズが足を止める。その様子に妙な色をムスタディオは見て取った。
やけに表情が硬いのである。陰鬱、とは違う。がちがちに緊張している。
「む、ムスタディオ。用事があるわ。ちょっと、こ、ここっちへいらっしゃい」
含みを感じてしまう笑顔のキュルケに身振りでせっつかれ、立ち上がる。
ちょっと、と言った割にルイズはムスタディオを連れて校舎の中まで戻ってしまった。誰もいない一角まで引っ張られる。
「どうしたんですか、ヴァリエール様? 皆に聞かれたくないことでも」
「そ、そそそんなところね」
声が震えている。帰ってきてからというもの、ルイズとのやり取りはちょっとしたものであろうとお互いに変な緊張をしてしまっていた。
しかしこれはそれどころではない。一体どうしたのだろう。
しばらく難しい顔をしていたルイズだったが、何か覚悟を決めたように切り出してくる。
「あんた今、なくて困ってる物とか、ない?」
いきなりのことで少々理解が遅れてしまう。
必要なもの。あるにはあるが、彼女に頼んでまで揃えなければならない物は、今のところない。
「いや……特にないです」
「そ、そんなはず、ないわ!」
ルイズは焦ったようにムスタディオをじろじろ見回している。
自分は何かおかしな格好をしているのだろうか。医務室で支給された服。それに、腰にはタルブの村で譲り受けた剣をさげていた。元々は名剣の類だったが、今や朽ちて切れ味は無銘にも劣る。それでもムスタディオはそれを手放すつもりはなく、肌身離さず身に着けていた。
ルイズはあろうことかその剣を指差した。
「その剣! 前見せてもらったけどぼろぼろだったでしょう? け、剣を持ちたいのならもっと立派な物を買ってあげるわ」
「え?」
「元々、使い魔は護衛なんだし、でもそんな錆びた剣で守られたらたまったものじゃないわ。買ってあげるからそんなの捨てなさい。それに服ももうちょっと貴族の付き人らしい物を――」
「そんなのお断りだ」
う、とルイズが口ごもる。ムスタディオが眼光鋭く睨みつけたせいだった。
見得のせいなんかでこれを破棄されたらたまったものではない。
そう思ったものの――やがてムスタディオはため息をつく。
彼女の言い分はもっともだと感じたからだった。なまくらの剣で護衛されるのもたまったものではないはずだ。
少々の言葉のあやは、自分だっていくらでもやってしまうのだ。こんなことで怒るのはそれこそ信頼していないことの証に思えて、自分が馬鹿馬鹿しく感じられた。
第一、これは善意の申し出でもあるのではないか。
とても喜ぶべきことのはずだった。
「……すみませんでした。ええと、この剣は大事なものなんだ。だから捨てるわけにはいきません。でも確かに、衣類はもう少しあれば便利だと思います」
「そ、そうよね!」
妙に勢いごんでいるルイズ。何なんだろうとムスタディオが首を捻っていると、こんなことを言った。
「だったら明日、街に買い物に、行くわよ。せ、せっかくの虚無の曜日だし!」
「あ……、はい」
ムスタディオはぽかんとしてしまう。足りないものを買いに行く。至極当然のことだ。そういう申し出がルイズの方からあったのは驚いたし、嬉しいが、何故この少女はこんなにも万感の思いを込めるがごとく気合を発散させているのだろうか。
ルイズはさも名案を思いついたかのように言葉を並べている。
「そうよ、そうしたらあんたの剣を磨き直してもらうのもいいかもしれないわね! 大事なものなら綺麗にしておいたほうがいいわ! ついでに他にも、……他にも、え、えーっと……」
そこで、ルイズはムスタディオの気が抜けたような顔に気付いてしまった。言葉尻が萎むように消えていく。
「ああ、それは嬉しいです、ありがとうございます」
ムスタディオがあっけに取られた風に言う。
すると小さくなっていった声に反比例するように、ルイズの顔がみるみる林檎みたいに赤くなり、
「――なによ、ばかー!」
「うわあ!?」
何故か分からないがけたぐりまわされた。
こっちがなんなんだー!? と廊下を逃げ回りながらムスタディオは心の中で困惑の声をあげるのだった。