the brave story/zero
[2]
それを見つけたのは、偶然ではなかった。
トリステイン魔法学院のお昼休憩。
皆が教室を飛び出し食堂に押しかける中、一人食事も取らず学院の外の草原を歩く少女がいた。
青い髪に少々センスの悪い眼鏡。タバサという生徒である。
彼女は子供と間違われそうな小さな体を屈め、時折探索魔法も使いながら、草の根を掻き分けるようにして何かを探していた。
明確な探し物があるわけではない。彼女がこの場所にいるのは、身の周りに散る火の粉は事前に払っておこうという思いからだ。
「…………っ、ぅぷ」
タバサは顔をしかめると体を上げ、天を仰いで深呼吸をした。開始早々臭いで鼻がバカになりそうだった。
地面を見下ろす。その一帯だけ黒く焼け焦げており、騒動から一日経った今でも、妙な臭いが風に散ることなく地面に染み付いている。
そこは、昨日サモン・サーヴァントの儀式が行なわれた場所だった。
(……この臭いは、何?)
タバサは厳しい表情で探索を続ける。
火炎魔法による焦土の臭いとは何かが違う。
いや、臭いだけの問題ではない。タバサが胸を悪くしている原因は、おそらく臭いだけではない。何か強烈な悪意の残滓みたいなものがこびりついている。それを臭いのせいと誤認するのだ。
現に、事後処理を行っていた生徒と教師が「臭いによる」体調不良を訴えたのをタバサは見ている。
朝食前にこっそり「重病人収容につき入室禁止」の医務室に忍び込んで確かめたが、召喚された青年からもこの感覚がした。
しかし、あれは彼のものではない。彼もまた、かすかな残滓をまとっているだけだった。
ここにはもう、何もないかもしれない。
かといって放置しておくには、あの悪意は吐き気がするほど恐ろしい。
昨日から彼女は、いても立ってもいられなかったのだった。
「きゅいきゅい! おねえさま!」
探索を始めてから5分。
使い魔のシルフィードの声に、彼女は立ち上がる。使い魔である大きな風竜が、子供みたいに跳ねて自分を呼んでいた。
「……喋っちゃ駄目」
「誰もいないからいいと思うのねってきゅい!? いたい、いたいよう! 杖で殴っちゃいたいのねっ!」
「……どうしたの」
「こんなの見つけたのね! キレイなの!」
彼女の使い魔はとても珍しい種類のもので、人語を理解する程の知性を有している。それは他人には秘密にしてあるのだが、いかんせん若いためか言うことを聞いてくれない。
困ったものだと思いながら、タバサはシルフィードの抱えている物を見た。
「きゅい!?」
見た瞬間。あれ、と思った。
「おねえさま、今度はわたし何もしてないの! ぶっちゃやなのね!」
なぜか目の前に杖があった。
腕が勝手に杖を構えている。
口が詠唱の準備に入ろうとしていることに気付く。
いつの間に、自分はそうしたのだろうか。
――追って、ぶわりと全身から汗が噴き出した。
「……それ、置いて。早く、は、早く」
言葉が震えるのを止められない。不思議そうなシルフィードがそれを置いた途端、タバサはシルフィードの羽を強引に引っ張り、痛みを訴えるのもおかまいなしに「それら」から距離を置く。何が起こっても対応できるように。
数十秒が経過して、タバサは震える杖を下ろした。恐る恐る近づく。
黒ずんだ地面に、「それら」は無造作に転がっていた。
宝石の原石に見えた。
すごくキレイな琥珀色と、滑らかなエメラルドグリーン。
二つともカットも済まされていないような荒々しい形のままだが、成人の拳大はある。
エメラルドグリーンの方は蛇を象った金属の装飾が枠縁のように施されており、良い値で売れそうではある。
しかし、そんなことは絶対にしてはいけないとタバサの直感が告げている。
これらはきっと、装飾品に加工すれば持ち物を次々と不幸にする魔石になる。
しかも度合いは個人の不幸なんてものじゃない。一国を、世界を狂わす類だ。
こんなものが転がっているのに、何故誰も気付かなかったのか。
「……拾って」
「きゅい? 捨てさせたり拾わせたり、せわしないのね! 変なおねえさま!」
使い魔の胸に抱かれた二つの石を見る。
この不安感の原因は、この宝石と見てほぼ間違いはないようだ。断定しながら、違和感も感じていた。
これらからは残滓と同じ質の力は感じるものの、悪意はそれほど感じないのだ。
「すごくキレイなのね! おねえさま、これもらってもいい?」
「駄目」
「えー、二つあるんだから一つくらいは」
「駄目」
「きゅい……」
にべもないタバサである。がっかりしてうなだれる使い魔は、事の重大さに全く気付いていない。悩みなさそうでいいなという感想を抱いて、学院である城を振り返った。
風が吹きぬけた。季節にそぐわない、少し冷たい風だった。
本を読む代わりに受け取った宝石を注意深く観察しながら、タバサはシルフィードを操って学院へ戻る。
半透明な宝石の中心には、不思議な文様が刻まれている。
カットがあまりに雑だというのに、一方でこの刻印の凝り方。違和感を拭えない。
――を持つ者よ、我と契約を――
空を駆けながら、風に乗って何かが聞こえた気がした。
[The Brave Story/Zero]-02
◇
――ムスタディオが目覚めたのは、その日の夕方だった。
彼は体の違和感に目が覚めた。自分のものではないような異物感を、全身から感じる。
起き上がろうとしたが、痺れた様な感覚が全身を貫き、再びベッドに倒れこんでしまった。
「だ、大丈夫かね!?」
声が聞こえる。視界が霞む。声の主が男性であることしか分からない。
男性に抱き起こされたようだった。何か言おうとしたが、声が上手く出ない。
「使い魔が目覚めたと、ミス・ヴァリエールに伝えてください。……大丈夫、ゆっくり息を整えるといい」
言われたとおり、目を閉じてひたすら深呼吸を繰り返す。体の痺れが幾分取れた気がした。
「す、少し落ち着いた。……ありがとう」
「それはよかった。ほら、これにもたれるといい」
声の主は中年の男性だった。半ばまでに禿げ上がった頭と、人のよさそうな顔つき。
男性がベッドに設置した背もたれに体を沈めると、部屋の前景が見えた。
清潔な様子からして、どうもどこかの医務室らしい。
何か考えようとした時、男性の声に意識を散らされてしまう。
「あなたは自分が誰かわかりますかな?」
ムスタディオは、意図が読み取れずにきょとんとしてしまった。
名前を聞いているのだ、ということは分かるが、何故そんな尋ね方をするのだろうか。
「ムスタディオ――ブナンザだ」
「ブナンザ? 貴族なのかね!?」
「いや、平民だ。ゴーグで機工士をやってた……っつ、なんなんだ、体が痺れて……」
その時、医務室の扉が開け放たれた。
「コルベール先生!!」
慌しく入ってきたのは、桃色がかったブロンドの少女だ。
「ミス・ヴァリエール。使い魔が目を覚ましましたぞ」
使い魔。
その単語を、ムスタディオは自分と結びつけることが出来ずにいた。彼が考えていたのは、彼女はいったい何なんだろうということだった。
よほど急いでいたのか、息が切れ切れだ。しかしその割に表情は暗い。
何が起こっているのか分からず目を白黒させ、頭をかき、ふとその手を見る。目を見開いた――その手はまだらに変色していた。
大部分はかさぶたが取れたてのようなピンク色で、元の肌の色の比率が圧倒的に少ない。
――ああ。
そういえば、自分は大怪我をしたんじゃなかったか。
必要なことだけが頭に浮かぶ。
体を少し見回すと、露出している肌は大部分が新しい肌の色をしていた。
もの凄い熱を全身に受けたのだ。酷い火傷だったのだろう。
自分は、助けられたのか。
「……状況がいまいち分からないけど、助けてくれたんだな。本当にありがとう。
ええと、改めて、オレはムスタディオ・ブナンザだ」
「ああ、彼は姓がありますが、どうも平民のようです……いや、この辺りの地域では、姓を持つものは貴族だけなのです」
前半は少女に、後半はムスタディオに向けられた男性の声。
「君はもしかしたら、すごく遠方から呼び出されたのかもしれませんな」
「遠方……そうだ」
男性の発言の意味がよく分からなかったが、遠方という言葉にピンと来た。
ムスタディオは今一番にしなければならない質問をする。
「ここ、どこなんだ?」
それは、本人が思っているよりもずっと重要な質問だった。
◇
「私はルイズ。
ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールよ」
そうぶっきらぼうに言い放ったっきり、ルイズという少女はムスタディオの前を黙々と歩いている。
ただ、歩きなれていない自分に速度をあわせてくれている辺り、気にしてくれているのは確かだ。
(ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラ……なんだっけ?)
長ったらしい名前だと思う。
ムスタディオは何度か枢機卿や将軍と謁見する機会を得たことがあるし、旅の仲間の半数は貴族だった。しかし、今まで会った貴族たちの中でも群を抜いた長さだ。
すれ違う人間すれ違う人間若いが、着る物は高価で、身のこなしも少し品が良い気がする。皆彼女のような身分の人間なのかもしれないな、とムスタディオは観察する。
ここはトリステイン魔法学院、という場所らしい。
かつて仲間の幾人かが貴族の士官学校に通っていたらしいが、その魔道士専門科のようなものかもしれない。
そんな場所の内部を、ムスタディオは何故か案内されていた。
目覚めた後、コルベールと名乗った教師と医務室の養護教諭から一通りの体の動作確認、それに二人がかりでの念入りな柔軟を受けた。
随分と体が楽になったところで、リハビリと案内も兼ねて学院内を二人で散歩してくるように言われたのだ。
『これからずっと二人でやっていくことになりますからな』
それはどういうことだとコルベールに尋ねたが、ミス・ヴァリエールから聞きなさいとのことだった。
しかし、当のルイズは時折立ち止まって施設の名称を告げる以外、黙ったままである。
仕方がないのでしばらくは状況整理に努めることにしていたが、出てくるのは疑問ばかりだ。
自分の装備品はどこに行ったのか。
ここはイヴァリースのどの辺りなのか。
血塗られた聖天使は倒されたのか。
自分はあの爆発に巻き込まれた後、どういった経緯でここに居るのか。
他の仲間達は、どうなったのか。
……考えているだけでは、やはり埒が明かない。
そう考えたムスタディオは、自分から話しかけることにしたのだった。
「ええと、ヴァ……リエール様」
「なに」
ぶっきらぼうに返事をする彼女の横顔は、何か暗い。
器量は悪くないと思う。しかし何か陰鬱そうな少女だというのがムスタディオの第一印象だった。
「この魔法学院、はイヴァリースのどこにあるんですか?」
「イヴァリース? どこよそれ」
「オーダリア大陸の最南西にある国ですが」
「オーダリア? ここはハルケギニア大陸よ。それにそんな大陸聞いたことないわ」
「……ハルケギニア?」
それからしばらく地理に関する問答を続けてみたが、一から十まで噛み合わなかった。
――何か、頭の隅でよく分からない不安が膨らむ。
「……分かった。じゃあ、質問を変えたいんだが、オレはモンスターと交戦中に爆発に巻き込まれたんです。どうやって助けてくれたんですか? それと、他にも仲間がいたはずだけど、彼らのことは知りませんか?」
「他の仲間は知らないわ。私があなたをサモン・サーヴァントの儀式で召還したのよ。呼び出したのはあなた一人だけ」
「召喚……? そうだ、使い魔ってどういうことだよ?」
「そのままよ」
そこで初めて、ルイズがムスタディオの方を向いた。
ムスタディオのくすんだ金色の双眸を、感情の読み取れない鳶色の瞳が見上げ――彼女はあらかじめ決めていた内容を読み上げるように言った。
「あんた、何もしらない田舎の平民みたいだから説明してあげるけど、サモン・サーヴァントっていうのはメイジが使い魔を呼び出す儀式のことよ。使い魔の意味もそのまま。あんたは私の使い魔になってもらうわ。私の小間使いとして働いてもらうって言ったほうが分かりやすいかしら?」
「な」
なんだそれは、と思った。
「い――いくら貴族だからって、いきなりそれは無茶苦茶じゃないか!?元の場所に帰してくれ! 召喚術なら、召喚したものを元の世界に返す方法だって分かるんだろ?」
「? そんなのないわよ。あんたの言ってるのが何の魔法を指してるかは分からないけど、私達が用いるサモン・サーヴァントに送還術は存在しない。帰るなら自力で、ってことになるわ」
「何だって!? そんな横暴、許され――」
「あーもう! うるさい!!」
突如ルイズが爆発した。
いや、先ほどから導火線に火が灯りっぱなしだったのだが、ムスタディオにそれに気付くほどの余裕がなかったのだ。
「さっきから静かに聞いてたら、わけの分からないことをずらずらずらずら! こっちだってあんたみたいな平民を呼び出して困り果ててんのよ! 召還のやり直しは認められないんだからあんたが私の使い魔になったってことは決定事項なの! こ、コントラクト・サーヴァントだってさっさと済ませないと進級が認められないんだからあんたの言い分なんて聞いてる暇はないのよっ!!」
呂律が回っているとは言い難い上に連射弓のような剣幕、おまけにその内容の不可解さと理不尽さにムスタディオは若干ひるむ。
そしてひるんだ瞬間を狙われた。
ルイズに腕を思い切り引っ張られる。自分で思っていたより弱っていたムスタディオの体はいとも簡単に引き寄せられる。
ルイズの顔が、ムスタディオの目と鼻の先にあった。
唇が動く。ムスタディオは次の行動に迷う。相手が危害を加えようとするのなら突き飛ばして逃げればいい。しかし、彼女は自分に何をしようとしているのか――
「面倒くさい。もうここで済ませるわ。
我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我の使い魔となせ!」
――口付けをされた。
「……っ!?」
左手の甲に熱を感じて歯を食いしばった。
耐えられる痛みではあったが、体調が万全ではないため眩暈を起こしてへたりこんでしまう。
「それ、今あんたの手に焼きついたの、使い魔のルーンよ。早く立ちなさい」
冷たい声が命令を下してくる。
立ち上がろうと壁に手をつく。そこは廊下だった。窓の外には広大な草原に栄える夕焼けが見えた。
彼の故郷、空気の汚れた機械都市ゴーグにはこんな綺麗な黄昏は存在しない。
今までイヴァリース全土を回り、数え切れない夕焼けを見てきたムスタディオだが、この景色は一番の絶景じゃないだろうかと思った。
自分はこれからどうなるんだろうか。
オーボンヌ修道院に足を踏み入れた時から、死ぬ覚悟はしていた。いや、生きて帰るつもりではあったが、それだけの気概を持ってあの戦いに臨んだのだ。
そして今、自分は生き延びている。
しかし、なんと心もとないんだろうと思う。
昔、バート商会に追われていた時の事を思い出す。
あの時は周囲の人間全員が敵のように見えた。ひたすらに逃げていた。
今は違う。誰かに助けられ、周りの人間は皆無害そうだ。
しかし、そのほとんどが自分の知識と噛み合わない未知である。
助けてくれた人間も、彼の仲間たちのように善意で、というわけではなさそうだった。
沈んでいく太陽を見ながら、ムスタディオはルイズにせかされるまで動けずにいる。
血塗られた聖天使と対峙した時とは種類の違う恐れを感じていた。