the brave story/zero
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◇
ムスタディオは、校舎の隙間に隠れていたキュルケに背を向けて歩く。
視線の先には、何やら喚きたてるルイズとなだめようとして失敗するコルベールがいる。
――気が重かった。
また何やら追及されるのもそうだが、それ以上にムスタディオの気持ちを沈ませる事実があった。
今日で、リハビリのプログラムが終わりになるのだった。
自分の体調が標準まで戻ったことは嬉しかったが、素直には喜べない。――コルベールと話す機会がなくなってしまうからだった。
出合ってたった数日だが、ムスタディオはジャン・コルベールのことをとても好ましく思っていた。
しかし。
「――この間も言ったけど。
あんた、このリハビリが終わったらもうコルベール先生と用もなく話しちゃ駄目なんだからね」
「……ああ。分かってるよ」
なんでだ、と思う。
あまりの理不尽さに、ルイズに殺意めいたものすら覚える。
この四日間は、出会って間もない少女に対してそんな感情を抱かせるほど耐え難いものだった。
[The Brave Story/Zero]-04
◇
目が覚めた翌日。
ムスタディオが休息を十分に取った頭で出した結論は、しばらくは使い魔として生活しようということだった。
帰るための手段も、お金もない。ここで使い魔になることを拒否しても、無一文で途方に暮れるだけだろう。
この場所において、自分はあまりにも無力だ。
同時に、この場所は、自分が生きてきた場所とは違う「世界」なのかもしれないという仮説が、ムスタディオの頭の中に生まれていた。
――仲間の一人に、クラウド・ストライフという異邦人がいる。
異邦人というのは、違う国の人間という意味ではない。
本人の証言を信じるなら、ゴーグで発掘され、ムスタディオらが聖石の力で起動した機械によって、クラウドは異世界からイヴァリースへと呼び出されたのだ。
もっともその言葉に信憑性はない。
ラムザをはじめとした理解のある幾人かは彼の言を信じていたが、クラウド自身に記憶の混濁や人格のぶれが認められ、辻褄の合わないようなことを言い出すこともあった。
見たこともない戦いの技術を見せられ、それは確かに証拠の一つではあったが、一方で気が狂っている可能性は否定できなかった。
彼は特殊な組織で戦士として育成され、その過程で気が狂ったところをあの機械で呼び出されたのではないか。
そしてあの機械は、単なる輸送装置だったのではないか。
ムスタディオはそう推測する一人だった。
でも。
クラウドの言っていたことは本当だったかもしれない、と今のムスタディオは感じ始めていた。
(あいつには悪いことしたな……)
似たような状況になって、初めて分かる。周りから見れば、自分も良く分からないことを言っている変人なのだろう。
昨夜のルイズの自分を見る目つきが、それを端的に物語っていた。
そんなわけで、気持ちは固めたものの、リハビリに励む彼の気は依然として重かった。
しかし、彼の気持ちを明るくしてくれる出会いがあった。
リハビリの指導を担当してくれたジャン・コルベールである。
喋りが上手でなく威厳がないと生徒になめられていると苦笑する彼は、しかし話してみると非常に研究者肌な一面を持っていた。
不器用だけど自分の好きなものには真っ直ぐな知性と好奇心を発揮する彼は、ゴーグにいる技師達にどこか似ていて親近感を抱いた。
彼とはイヴァリースの古代文明、それに自分の機工士としての仕事の話をした。
ルカヴィに関する話題や「自分が違う世界から来た」という推測は、ルイズに口外することを禁止されていたので伏せている。……ムスタディオは、彼女の元で厄介になると決めた以上、彼女の言うことはなるべく聞くようにしていた。
掃除洗濯はもちろんのこと、毎朝非常に目のやり場に困りながら、着替えまで手伝う。
メイジ達が己の使い魔に要求する能力をムスタディオはあまり持ち合わせていなかったし、彼女の身を守るといっても、彼の装備は検査の名目でオールド・オスマンの手にあった。
だからほとんど従者みたいな扱いだった。
雑用をこなす過程で世話になったメイドや教師たちとも、厳しく言い含められた通りほとんど言葉を交わさない。陰気な男だと思われているだろうな、と少し苦々しく思う。
それなのに、ルイズからの信用は得られるどころか、日々疑いのまなざしが鋭くなっていくように感じた。
そのことを意識するようになったのは、ルイズが四六時中可能な限り自分を傍に置いておこうとしている、と気付いてからだった。
最初こそ使い魔と主とはそんなものなのかもしれない、と納得しかけていたが、他の主従を見ているとどうもそうとは言えないようだったし、小用や体を洗う時ですら悪態をつきながらついてこようとするのには辟易した。
――これは、監視されているのだ。
ムスタディオは言いつけは守っているだろうと抗議したが、それに対するルイズの反応は、
『……い、衣食住提供してやってるだけありがたいと思いなさい』
――自分の主がゼロと呼ばれているのも、ムスタディオが反感をもつ理由の一つだった。
ルイズが魔法を使えないメイジであることは、この世界に来て目覚めた翌日に判明していた。
彼女の魔法は、それがどんな呪文によるものでも、最終的に爆発という結果に到ってしまうのだ。
この世界においては、メイジとしての能力が貴族の格を決定付ける大きな一因らしい。
能力のない貴族というヤツにムスタディオは良い印象を持てない。
イヴァリースにおいて、私利私欲や保身、考えの浅い政策で平民を苦しめた貴族は山といたからだ。
ましてルイズは能力が低い割に酷く傲慢にふるまっているように見えた。ムスタディオに自分の能力のことを知られてからは、自尊心を傷つけられたのか、八つ当たりのように彼に喚き散らすことが増えた。
最初は、貴族といえど年下の少女のやることだ、と大目に見ようとする気持ちが確実にあった。
しかしこれだけ色々重なってしまうと、そんな寛大さを発揮する気にはなれそうにもなかった。
◇
それでもムスタディオが彼女の元で働き続けようとしたのは、コルベールの説得によるものが大きい。
コルベールによれば、彼女は才能がないがもの凄く努力しており、皆の誹謗中傷にも負けずがんばっている。
それに今は少し疲れていて余裕がなさそうだが、根は優しい子なのでどうか支えてやって欲しい。
彼はルイズに同情しているようだった。
(優しい、か。根はね……)
かなり奥深くまで掘らないと根は出てこないんだろうな。
そう思いながら、もう少し様子を見ようとムスタディオは思った。
その思いは、そう長く続かなかった。
検査を終えた装備品、持ち物がムスタディオの手に返って来た。
手先の器用さを活かして調合しておいたポーションや毒消しを始めとした薬品類。ブレイズガン。そのメンテナンスのためのパーツや工具。返って来たのはそれだけだった。
それらは確かに、オーボンヌ修道院の地価書庫に足を踏み入れる際、ムスタディオが携帯した品々だ。
しかし、彼が持って行ったのはそれだけではなかった。
自分が仲間達との旅を始めるきっかけとなった物。
仲間から信頼を受けた彼が保管していた、彼らの人生を狂わせたと言っても過言ではない、全ての元凶の一つ。
「……これくらいの、宝石が二つありませんでしたか」
ムスタディオが管理を任されていた、タウロスとサーペンタリウスの聖石がなかった。
彼にとって、それは仲間とのつながりを感じられる品でもあった。装備品を持ってきてくれたコルベールに詰問し、大隊規模の捜索隊を組んで探してもおつりが出るような大事な、いや危険な品だから探してくれと詰め寄った。
そんなに凄い物なのかと興味を持ったコルベールにルカヴィのことを話そうとしたが。
喉まで出掛かった時、ルイズに止められた。
「ちょっと来なさい。……いいから、来なさい、っつ、こ、来いって言ってるのよ!」
拒むと鞭が飛んできた。ここ数日で、何か間違いをする度に受けた仕打ちだった。
今までなら耐えられなくもないことだったが、その時は無理だった。
「大事な話なんだ! なんで水を差すんだよ!!」
「またあの話? るがいーとかなんとか」
「そうだよ。……本当に大事なことなんだ。詳しくは言えない。けど、あれが誰かの手に渡る前に何とかしないと」
「詳しい話なんか、聞きたくもないわ。
いい加減にしなさいよ!! その話は他の人にはするなって言ってるでしょ!!」
「……っ、なんでだよ!」
「そ、そそんなのあんたのつつ作り話に決まってるからでしょ! 前々から、思ってたのよ! るがいーだかるがうぃだから知らないけど、そんな変な話、本当のわけないじゃない!」
ここに来て、ムスタディオは自分が完全に狂人扱いされていることを悟った。
何なんだ、と思った。
これまでの自分の人生に全く関与していない、赤の他人とも言えるこの少女に、何故ここまで否定されなければならないのか。
確かに、彼らの戦いはこの世界の彼女達には何の関係もない。違う蚊帳での出来事だ。
しかしそれで片付けられては、自分がやってきた事は何だったのか。
腋の下、掌、背中、あらゆる場所から汗が吹き出て、止まらない。
そのムスタディオに、ルイズの畳み掛けるような言葉が投げつけられた。
「だからあんたが変なこと、しないように見てあげてるのに――
どこでも誰とでも変な話おっぱじめようとするし、ああもう気が狂ってるんじゃないの!?
あんたつ、使い魔なら使い魔らしく、い犬みたいにじ、じじ従順にしてなさいよ!
――あ、あああんたなんか、犬は犬でも狂犬病の犬よっ!!」
頭に血が昇り過ぎて何も言い返せなかった。
かといって女子供に暴力を振るうわけにもいかず、その場から去るがの精一杯だった。
その翌日、リハビリが終わったらコルベール先生と話すことを禁じるわ、と告げられた。
なんでこんな目に合わなければならないんだ。その気持ちが爆発的に高まっていた。
貴族だからってこんな仕打ちをしていいのか。
ラムザから聞いた話を思い出す。自分達「持たざる者」は、こんな仕打ちを受けて黙っていろというのか。自分は犬なのか。それも狂犬病の。
家畜に神はいない――これも、ラムザから聞いた言葉だった。かつて味方だと思っていた人間の口から出た言葉だ、と悲哀の混じった表情で語られた。
自分には祈るための神すら許されないのだろうか。ムスタディオは元々神への信仰は薄かった上に、ルカヴィ達と対峙した時、信仰心そのものを失っていた。
しかしそんな特殊な経験をしたからこそ、ムスタディオは信者達とは違う角度からの神の存在意義を考えていた。
それは心のバランスを保つために祈る場合だ。神様を心の拠り所にしている人はたくさんいる。
――でもオレには。
心を許すための拠り所すら、持つことを許されないのか。
気が付けば今の彼にとって、彼の話に理解を示してくれるコルベールとの会話は、神を信じる者達にとっての神に祈ることと同じくらい大事なことになっていた。
でもそれすら奪われた。
誰とも話をさせてもらえない。
四六時中ルイズが自分を見張っている。
夜抜け出そうとしてもすぐに気付かれた。目を離す隙がほとんどない。
頭がおかしくなりそうだった。
◇
この四日間は、ルイズにとっても酷く神経をすり減らすものだった。
『――あ、あああんたなんか、犬は犬でも狂犬病の犬よっ!!』
はずみでそう言ってしまった時。
無言で部屋から出て行った彼の顔が脳裏から離れない。
あんな凄まじい怒りを湛えた人間の表情は、はじめてみた気がする。……いや、違う。少し前に、誰かに凄い剣幕で怒られたような気がする。赤い髪の誰かだったような。
そこまで考えて、酷く疲れていたので思考を放棄した。
ルイズもルイズで酷い心境だった。
何かが折れてしまったかのように泣いたあの夜以来。
自分が急にここに居てはいけない人間なのではないかという疑念が膨れ上がっていた。
なるべく目立たないように。大人しくなろうと思っていた。
以前の自分なら絶対にそんなことは思わなかっただろう、と自分でも分かるが、今は他人の目を気にすることについて、全く疑問が浮かばなくなっていた。
なのに使い魔は頭がおかしいような言動をするし――そもそも彼が使い魔である以上、「人間である」だけで目立ってしまう。
ムスタディオに酷い仕打ちをする度に、なんであんな言動をしてしまったんだろうと思う。
けど一方であいつは私の使い魔だからどんな扱いをしてもいいんだとやけくそに思ったり、でも彼も気が狂っているとしても人間だ、平民でも人間だ、あの仕打ちは酷すぎないか、貴族としてあるまじき行為ではないのかと思ったりする。
自分が何か、どんどん汚れていく気がする。
しかし行いが激しくなっていくのを自分自身抑えられず、自己嫌悪のループに陥る。
毎夜、使い魔に悟られないように声を押し殺して泣いていた。
そのせいか、寝つきが酷く悪くなった。
あまり食欲も湧かず、朝鏡の前に立つ度に、自分の顔がやつれていくのを目の当たりにした。
どうにかしなきゃ、と思う。
でもどうしたらいいか分からないし、相談できるような人もいなかった。
頭がおかしくなりそうだった。
◇
――そうして、ムスタディオがキュルケと初めて会話をした翌日。
事件が起こった。