the brave story/zero
[6b]
◇
「メイジだったのか」という叫びをムスタディオは無言で聞いていたが、実のところギーシュの言葉は勘違いだった。
ムスタディオは魔法を修めたことがない。
だから彼が用いた氷の魔法に見える何かは、彼の武器の効果に依存するものだった。
それは、機工士やトレジャーハンター達の間では「魔ガン」と呼ばれている。彼とその仲間が戦いの最中に討った、とある神殿騎士の遺品だった。
通常の銃は鉛の弾丸を射出するが、これは代わりに定められた魔法の弾丸を撃ち出す。魔法を修めているかどうかは使用条件にない。そしてその効果から「ブレイズガン」とムスタディオは呼んでいる。
機工学と魔法の融合による産物のため、機工都市ゴーグでも未だ再現されていない古代文明の遺産の一つ。
彼が決闘に遅れたのは、これを部屋まで取りに戻り、ごく簡単な動作確認を行なっていたためだった。
ルイズには触ることを禁止されていたが、そこはもう気にすることさえ疎ましかった。
何もかもどうでもよく、やけに獰猛な気持ちだった。
[The Brave Story/Zero]-06・b
――三体目まではまるで鴨撃ちだった。
油断を狙って次々とゴーレムを撃ち凍らす。
それで終わらせられたら楽だったが、そうもうまくはいかない。
四体目へ狙いを定めようとして――標的が目の前で拳を振りかぶっていた。
元々ムスタディオは戦いにおいて後方からの支援狙撃を担当していたため、接近戦はそこまで得意ではない。
体力と俊敏性は人並み以上あるし、必要に応じて身に着けた手段もあることにはあるが、かさばる魔ガンを両手で扱いながらは難しい。
また身を隠したり敵を欺くことには長けているものの、いかんせん、こんな開けた場所では小細工の施しようがない。
そして、開けた場所というのがムスタディオにとって大きなネックの一つだった。
照準を定める構えを解き、ブレイズガンを水平に掲げてゴーレムの拳を受け止める。
反動で距離を取り、狙いを定めるが、動きながらなので照準がブレる。
そしてブレたその先に、大勢の生徒達の姿が見えた。
「……くっ!」
自分の腕前なら、そうそう彼らには当たることはない。
そうは思ってもためらいが生まれてしまう。
何の備えもない彼らにこんなものが炸裂すれば、一発で命をなくしてしまう。そんな躊躇が隙を呼び、ゴーレム達に着々と逃げ場を奪われていく。
「敵」しか居なかった戦場ではこんな煩わしさはなかったのに、と今更のように感じ、考えなさすぎだ、と自分を罵った。
決闘といってもこんな展開になるとは思ってなかったため、ムスタディオは相手を思い切り叩きのめす方法を考えていた。
つまり自分が取りうる一番破壊力のある手段である。
それが仇となった。
こう威力が強すぎては誤射や流れ弾による被害が出かねない――しかし、それで良いと思っていた。
ギーシュもまた己が持つ最大の魔法を持ってかかってくるから、ブレイズガンと魔法の単純なぶつかり合いになると思い込んでいたのだ。
(まさか、魔法なのにこんな直接的に来るなんて……!)
いくら頭に血が昇っていたからとはいえ、その浅はかさを呪ってしまう。
――早合点は焦りに変わる。
周りを気にしながら戦わないといけないもどかしさが相俟り、動きが鈍る。決断が曖昧になる。
そしてついには失敗を生んだ。
前を見ながらの後退は効率が悪く、前進してくるゴーレム達に包囲されつつあった。
拳や刃を潰した剣で殴りかかってくるそれらに業を煮やしたムスタディオは、突破のために右方の一体に銃撃を仕掛けた。思い切って飛びずさり、狙いを外しても地面を穿つよう脚部を狙い撃つ。
それが致命的だった。
身体のどこかを狙い撃てば動きが止まる、というのは対生物にしか当てはまらない定石だ。
ゴーレムは脚部と地面が氷で接着されたのをお構いなしに突撃する。
ひずんだ脚と氷が裂ける。
ムスタディオは銃身で受け止めようとしたが、無防備だったのが災いしてブレイズガンを跳ね飛ばされた。反動で体勢が崩れる。
倒れながら、他の二体が自分を取り囲んでいるのを見ていた。
背中から地面に弾む。
その瞬間から袋叩きが始まった。
胸の真ん中と左頬と腹と右太股と左脇腹を打たれたのは覚えている。
実際はその倍くらいかもしれなかったが一撃一撃が凄まじく重く、意識が朦朧としているので分かったものじゃない。モンクの集団に放り込まれたようだった。
「ギーシュ! もうやめて! これ以上やったら死んじゃう!」
ルイズの懇願が遠くで聞こえる。
(――あの娘でもさすがに、この状況だったら、心配はしてくれるんだな……)
そんなことを考えていられたのは一瞬だけだった。背中に蹴りが突き刺さり、袋からぶちまけられた果物みたいに地面を転がった。
野次馬達の声が聞こえて来る。打撃が止んでいた。
口の中で雑多な味がする。血と土と雑草の汁。
吐き出しながら、ぐらぐらする頭と拡散する思考の焦点を尖らせようとする。
誰か人間の足音がした。こちらに走り寄ってくるそれに「来るな!」と怒鳴り、立ち上がろうと両手を地面に突く。
――何か硬い物が指に触れた。
「……まだ続けるのかい? 杖を失ったメイジに勝ち目はないと思うが、その心意気だけは認めよう」
四つんばいで顔を上げる。
歯が砕けそうなほど噛み締めると目に映るものがやや焦点を結ぶ。
こちらに近づこうとして足を止めたような格好のルイズ。
勝ち誇った風のギーシュ。
遠巻きにこちらを窺うゴーレム。内一体は二十メイル強離れたところに転がるブレイズガンへの道を塞いでいる。
そしてさらに遠巻きに観戦する生徒達。
ギーシュを呼ぶ声が多く聞こえる、気がする。
気が済まない、と思った。
まだどこも折れていない。体の骨も、心も。
指に触れたものを確かめる。
ゴーレムの破片、折れた剣だ。
……このふらふらの状態でできるか、と自分に問う。大丈夫だ、と自答した。
銃なしに戦うのは久々だし、あまり空手で長期戦は出来ない。だから意表を突いてやる。
折れて短くなった柄を握った途端、急に体が軽くなるのを感じた。……きっと気のせいだと思い、立ち上がる。
さっきまで霞んでいた視界が、不思議に澄み切っていた。
「あんたも寝てなさいよ、バカ! 早くその剣を捨てるのよ!」
主人が叫んでいる。その声より――ギーシュがルイズに目を逸らした瞬間を、ムスタディオは見逃さなかった。
彼は全身に捻りという捻りを加え――剣を投擲した。
「えっ?」
「なに!?」
ギーシュやルイズの息を呑む声をムスタディオは聞いていない。
起こった出来事に自分でも驚いていたからだ。
ムスタディオの手を離れた剣は、刀身を軸に独特の回転運動を行ないながらゴーレムの体幹へと突き刺さる。そして強弓から放たれた矢が人間を斬り飛ばすように、青銅の体をたやすく吹き飛ばしていた。
それは仲間から教わった特殊な投擲技術だった。
しかし彼はお世辞にもきちんと習得していたとは言い難く、一瞬の時間稼ぎのつもりだったのだ。
だがその驚きは一瞬のもので、次の瞬間、ムスタディオはがら空きの空間に身を躍らせた。
その先にはブレイズガンが転がっている。
「――! ワルキューレ、かかれ!」
そのまま一息で駆け寄るが、剣から手を離した途端、体が砂袋を詰めたように重くなった。
稼いだ時間はそこで尽きる。踏み込む足がよろめいたところで追いすがったゴーレムに背中から殴り飛ばされた。
が。
倒れた先に、くすんだ木色の銃握が見える。
再度包囲されているのが見えた。ムスタディオは一も二もなくブレイズガンを抱き抱いて、引き金に指をかける。
目の前の一体に零距離で弾丸をぶち込んだ。吹き飛ぶ氷漬けに後ろからやって来ていた一体が巻き込まれる。
その二体にまとめてもう一撃、仲良く転がっていったところで――裸にされたギーシュに照準を定めた。
焦りの見えるギーシュの口が動く。
何か言う前に引き金を絞る。
◇
「ま、参った」
ギーシュがへたり込んでいた。
片手に握っていたはずの薔薇がムスタディオの魔法で撃ち抜かれ、凍ったままバラバラになって散らばっている。
そして彼の口から発せられた言葉を――ルイズは信じられない気持ちで聞いていた。
ムスタディオがギーシュに向けていた杖の先を下ろす。その顔や服から覗く肌には、あちこち痣ができている。
「ぜ……ゼロのルイズの使い魔が勝ったぞー!」
「うわあーっ! どうしたんだよギーシュー!」
「何者なんだあいつー!」
生徒たちが熱狂して喝采を上げる中、ルイズは本当に勝っちゃった、とぼんやり思った。ただの平民なのに。
いや、ただじゃなかった。魔法を使う平民。平民なのに魔法を使える。
自分は、貴族であっても使えないのに。
――またそんな嫌なことを、と思った。
頭を抱えて首を振りたい。大声で叫びたい。
そんなことを考えるのはもうたくさんだった。
もういいと思った。彼は凄い使い魔だ。言動がおかしいのは目をつぶろう。
彼が魔法を使えるのは凄く悔しい。体が震えている。何で、と思う。
でもそれもいい。そんなことを考えていると、さらに悪い場所へずぶずぶ沈んでしまう。
謝って対応もよくしよう。
謝る。
謝らないといけない。
謝らなければいけない。
何度も何度も心の中で繰り返すと、少しだけ覚悟がついた気がした。
生徒達が熱狂して喝采を上げる中、ムスタディオがゆっくりこちらに歩いて来る。数歩先で立ち止まった。
覚悟はついた気がしたのに、ルイズは彼の顔を見上げられない。ただ一つだけ、まず労いの言葉をかけようと思った。
「あんた、よくや」
ったわねと言おうとしながら顔を見て。
あれ、と思った。
ガラス玉みたいな目だった。
何か、彼と自分との間に温度差が、決定的な温度差が。
反射的に口がごめんなさいと言いかけて、でもその前に、
「口だけじゃなかっただろ」
その言葉を聞いた。
――気がついたら腰が抜けて、地面に座り込んでいた。
ムスタディオはルイズに手を貸さない。見向きもしていない。
彼は少しだけびっこを引きながら、誰の手も借りようとせずに人垣に向かって歩き去っていく。
もう仲直りなどできないところまで来てしまったのだ、という思いが腹の底でゆっくり、抗えないな確かさで回りはじめている。
キュルケとタバサがやってきて引っ張り上げられるまで、ルイズは立ち上がれずにいる。
◇
『遠見の鏡』に、二人の男の姿が映っている。
杖を突きつけるムスタディオと、地べたに座り込んで降参を宣言するギーシュ。
コルベールは、やや戸惑いながらオスマンの名を呼んだ。
「オールド・オスマン」
「うむ」
「ブナンザ君が、勝ってしまいましたが……」
「うむ」
妙な沈黙に包まれた。コルベールは掌に汗をかいているのを感じた。
何故だか分からないが、お互いがお互いの出方を探っているような気がする。
「ミスタ・コルベール」
穏やかに口火を切ったのはオスマンだ。
「君はあの使い魔についてどう思う? 確か君は、彼のリハビリを指導していたんじゃろう?」
「ああ、はい……ブナンザ君、彼は不思議な青年ですな。我々が見たことも聞いたこともない遠方より召還されたと言っておりました。こちらとは少し異なる文化が発達していたようで、機工学という技術に携わっていたようです」
「機工学とな。それはどういうものなんじゃね?」
「はい、何でも今は失われた技術だとか。
彼の国では、古代においてはおびただしいフネが空を埋め尽くし、街にはからくり仕掛けの人間が闊歩していたそうなのです。
古代の遺跡を発掘し、それらの残骸を掘り起こして復元する。利用できるものは生活に取り込む……彼がやっていたことはそういうものだそうですな。とはいえ、まだ市井には浸透しておらんようでしたが。
ああ、そういえば彼は、その技術を用いた武器を持ってきたと言っていましたな。
もしかしたら、あの無骨な杖にも何かからくりがあるのかもしれません」
「ほう、それはまた、おとぎ話のようじゃのう」
オスマンの目が細められ、眼光が増す。しかしそれにコルベールは気付かなかった。
それより訂正したい言葉をオスマンが口にしたからである。
「お言葉ですがオールド・オスマン、おそらく彼からすれば、始祖ブリミルの話だっておとぎ話のように聞こえるでしょう」
「ほっほ、君は研究熱心じゃの。いや、言ってみただけじゃよ」
オスマンが眉毛をひょいと上げた。
その途端学院長室に沈んでいた嫌な雰囲気が消えた気がして、コルベールは内心ほっとした。
「全てが誠とは思えんし、全てが嘘とも限らん。慎重に判断する必要があろうて。
わしはの、何か彼については一面的な判断を下してはいかん気がしてならない。
彼はガンダールヴなのか。いやそもそも何者なのか。
――もう少し様子を見ることにしよう」