the brave story/zero

[8]



 ――草笛の音が、どこかで聞こえた気がした。

 そんなものは無論空耳だ。聞こえて来るのは時折石を踏み砕いて揺れる馬車の走行音、それに馬の足音だけ。
 それでもそんな音色を感じてしまうのは、馬車が走っているのが見渡す限りの草原だからだろう。
 それはムスタディオの記憶から呼び起こされた音だった。
 草原の廃墟の中で、お姫様とラムザが鳴らしていた草笛。
 馬車の中、ムスタディオは遠い景色を眺めている。
 少しだけ、あの日々の中にいた自分に戻った気がしていた。

 馬車に乗りこんで早三日経つ。
 トリステイン魔法学院を後にしてから、考えることはいつものように徒然にあった。
 まず感じたのは、コルベールへの謝罪の気持ちだった。
 どうしても確かめなければならないことがあって、出てきただけだ。なのに何故彼に大して申し訳なく思う気持ちがあるのか。それはきっと、学院に戻りたくないと思っているからだろう。
 どうしてあそこから出て行くという選択肢を今まで除外していたかと言うと、それはコルベールに引き止められていたからだ。生徒思いな彼に、「ルイズの使い魔としてやっていく」と告げた。
 しかし今、その約束はどこか空々しいものとしか感じられなかった。

 ――このまま旅に出るのもいいかもしれない。
 生活は学院の庇護下よりは大変だろうが、色々な希望を捨てればなんとかなる。根無し草のように、仲間の痕跡を探すのもいいかもしれない。あの暮らしを続けるより、マシかもしれない。
 時折、夢から覚めるように聖石のことが頭をよぎる。
 その度に、今考えていたことはただの「もしも」なんだ、と自分に言い聞かせる。あんな危険なものを確認せずに放ってはおけないのだ。この世界にだって、魔人達が呼び出される危険性がないなんて言えない。
 だが、そう思いながらも逃避する気持ちがある。水垢のように心の底にへばりついて離れない。

(あいつらなら……どうしただろう)

 尊敬できる仲間達。彼らならきっと、しっかり解決するまで向かい合おうとしただろう。
 ……いや、彼らは貴族だから、元からこんな事態には陥らないかもしれない。
 嫌なことを考えている、と思い、つくづく自分と皆との違いを思い知らされる。
 ラムザ。アグリアス。オルランドゥ。メリアドール。ベイオウーフ。異端者と蔑まれてなお、自らの誇りと信念を貫く騎士達。
 魔と戦い、撃ち滅ぼしてきた彼らは「英雄」と呼ぶに相応しい。
 そう、英雄。彼らは紛れもなく世を救うために戦った英雄たちだ。
 けど――その仲間まで、英雄だと一括りはできないんだな、と思った。

 ブレイズガンを抱く手に、ぎゅっと力をこめた。
 あの日々に戻ったわけではなかった。
 郷愁と、感傷に浸っていただけだ。
 もう戻れる望みはなさそうだし、戻る資格もないかもしれない。
 こんな矮小な自分が、そもそも最初からあの仲間たちの中にいることが間違いだったのかもしれない。
 この三日間は、そんなことばかり考えていた。

「ムスタディオさん、大丈夫ですか?」

 ――ふと、自分にかけられた声に沈み込んでいた思考から引き上げられる。
 傍らを見やると、自分をここまで連れて来てくれた女の子が不安げにこちらを窺っていた。黒髪のショートカットに、いつもの給仕の服装ではなく草色のワンピースを着ている。シエスタだった。

「ああ、大丈夫だよ。どうしたんだい?」
「いえ、その、なんだか馬車に乗ってからずっと……こう、思いつめた顔をしてましたから」

 ムスタディオは心配させていたことに気付き、肩をかいた。そこには内出血により一週間は引きそうにない腫れがあったが、三日前の治療によって大方が癒え、今はほぼ治りつつあった。
 緊張してるのさ、とムスタディオはなるべく優しい口調になる。彼女の顔つきは、何故かムスタディオをほっとさせる。シエスタは何か、見知った人間のような印象を抱かせるのだ。しかしそんな彼女に脅迫まがいのことをしてしまったため、罪悪感を感じていた。

「うまく言えないんだけど、すごく大事な手がかりがシエスタの村にはある気がするんだ。……この間も言ったけど、何の手がかりかは、言えない」
「そうですか……」

 呆けたように言う彼女は、それ以外になんという言葉を口にしたらいいのか分からない様子だった。無理もないと思った。詳しい事情は何一つ告げず、強引について来ていた。
 シエスタは長い間馬車を覆っていた重苦しい沈黙に耐えかねていたのか、なんとか喋ろうとしている。先ほどの案ずる言葉も、苦し紛れのものだったのだろう。

「ええと、たぶん、もうすぐ見えてくるはずですよ」

 その言葉に、ムスタディオは馬車の行く先を見る。
 地平線の先、彼女の生まれ故郷、タルブの村は未だ見えない。





「The Brave Story/Zero」-08





   ◇


 シエスタがムスタディオをタルブの村へ連れていくことになったのは、彼女が出立の朝に偶然ムスタディオと出会ってしまったことに端を発する。

 トリステインの姫君が、近々ゲルマニアに嫁ぐのだという。
 元々村娘であるシエスタには政はほとんど分からないが、最近アルビオンが内乱を起こしており、その飛び火を恐れて同盟を組むとのことらしい。
 その式典が数ヵ月後に行なわれるのだが、それを記念してトリステイン魔法学院のメイド達にも特別に休暇が出されることになった。
 とはいえ全員一斉に休みが出されるわけではない。一部ずつなので、全員が一通り暇を頂くのはそれなりに時間がかかる。だから式典のかなり前から、何人かずつ暇が与えられることになった。厨房長のマルトーに気に入られていたシエスタは、一番に休みを与えられたのだった。

 しかし働き者の彼女は最後まで自分の仕事をきっちり済ませようとしていた。出発は朝なのだから、それまではいつもどおり自分の仕事をしなければならない。
 前夜に帰郷の準備、いつもより早く起きて分担された区画の掃除を済ませたシエスタは、洗濯のために水汲み場へ赴いたのだった。
 そこには、先客らしき人影があった。
 この時間にはまだ他の人たちは洗濯に来ていないはずだけれど、誰だろう。そう訝しげに思いながら近づいていき――シエスタはひっと声を上げた。
 その人物は上半身裸になって、水を含ませた布で体を拭いている。しかしシエスタが驚いたのは恥ずかしさからではない。
 その体躯の至る所に青痣が残り、皮膚は裂け、酷い有様だったからだ。
 驚きの声に振り向いた顔を、シエスタは覚えていた。昨日自分を助けてくれた人物。

「ムスタディオさん!」
「ああ……シエスタじゃないか」

 どこか暗い顔で応じるムスタディオは、あまりシエスタの存在を気にかけた風でもなく、頭から桶に汲んでいた水を被る。苦悶のうめきをあげた。傷が沁みるのだろう。
 シエスタは顔を青くしてうろたえてしまう。

「こ、この傷……っ、ろくな手当てもしてないじゃないですか! どうしてこんな……」

 そう言って思いつく。屋敷で働く同僚たちが世間話の種にしていた。ミス・ヴァリエールとその使い魔はうまくいっていない。

「まさか、ミス・ヴァリエールにほったらかしにされてるんですか!?」
「ヴァリエール様は関係ないよ」

 ムスタディオの表情が苦々しいものに変わったが、シエスタはそれに気付かない。助けてもらった感謝とこんな傷を負ったのは自分のせいだという罪悪感とが頭の中でないまぜになり、混乱していた。
 そしてシエスタは、そのために普段「やってはいけない」選択肢を選んでしまう。

「む、ムスタディオさん、ここに座って少し大人しくしていてください。よく効くおまじない、かけてあげますね!」
「?」

 言われるままに桶を椅子にして座るムスタディオの背中に両手を添える。
 傷を確かめるように優しく撫でた後、「おまじない」を囁いた。

 ――彼女の一族には、トリステイン以外の血が混じっている。
 六十年ほど前にタルブの村でとある騒動が起こったのだが、その時にシエスタの祖母がやってきた。彼女の言うことはおとぎ話みたいにでたらめで――誰も見たことも聞いたこともない遠方から来たと言っていたし――、殆どの者は信じなかった。
 シエスタは優しく凛とした働き者の祖母が好きだったが、彼女もまた祖母の言うことを額面通り鵜呑みにしているわけではなかった。
 しかし真偽はさておき、祖母に「何か」があったのは確かだった。
 その証拠に、彼女はタルブの住人が今まで見たことのない様々な品々と不思議な「遺跡」、そして家族だけにしか見聞きさせない「まじない」を残した。
 それは彼女が持つ謎のほんの一端、彼女本人や彼女が住んでいた場所では取るに足らないごくささいな技術だったらしいが――この地では「先住魔法」扱いをされるもの。それゆえに家族の前以外では使うことを禁じられたものだった。

「清らかなる生命の風よ、失いし力とならん。ケアル」

 掌が優しい光に包まれ、あちこち青黒い背中が傷つく経過を逆さにしたように、元の色へと戻り始める。しかし彼女の腕前では大した効果は期待できず、すぐに体を巡る何かが尽きて「おまじない」は止んでしまった。

「ごめんなさい、ちょっとしか治せませんでした」

 そうはにかみながらムスタディオの顔を見て――何か驚愕に塗りつぶされたような表情をしていた。
 そんなに驚くようなことだろうか、確かにこれは不思議な技だけど、彼の氷の魔法の方が驚きに値するものだった。……そういえば、昨日のお礼も言えていなかった。そんなことを考えるシエスタに、ムスタディオが訊いた。

「……これ、どこで覚えたんだ?」

 シエスタは少しだけしどろもどろになりながら、

「あ、あはは、それは秘密で――」

 胸倉を掴まれた。

「どこで覚えたんだ! 答えろっ!!」

 突如立ち上がったムスタディオの身長は高い。小柄なシエスタは半ばつるし上げられるような格好になってしまう。何が起こったか分からずあえぎ声を上げ――炯炯とした光を自分にぶつけるムスタディオの瞳を直視してしまった。
 彼女の脳裏を、ルイズに関するもう一つの噂がよぎる。
 曰く、ラ・ヴァリエール嬢の使い魔は気がふれている。
 悲鳴をあげかけた時、手が離された。咳き込むシエスタの耳に、申し訳なさそうな声が入ってくる。

「……ごめん、本当に悪かったよ。最近疲れてるんだ。許してくれ……」

 見るとムスタディオは力なく座り込み、うなだれていた。

「へ、平気です……少し、驚きましたけれど」

 正直なところ、散々噂話を聞いて偏見の出来上がっているシエスタは薄気味悪さを感じていた。しかし何か、同情めいた感情も生まれているのも確かだった。
 この人はあの時、自分を助けてくれたのだ。
 少しくらい応えてもバチは当たらない。

「私の……生まれ故郷です。祖母が教えてくれました」

 だから、そう言っていた。

「私や祖母はメイジじゃないんですけど、こういうことが出来る変わった血を引いてるみたいなんです」

 シエスタは髪の色も目の色も、祖母のそれを受け継いでいない。顔つきが少しにているくらいだ。しかし、この不思議な力だけは色濃く貰い受けてしまっていた。
 そこからの話は急展開だった。ムスタディオが帰省についていってもいいかと言い出したのだ。さっきより穏やかな様子で、でも目の色を変えた彼の剣幕をシエスタは断りきれなかった。
 そしてそのことについて、「恩返しだから」とごまかしを自分に言い聞かせ――そういえば、結局謝罪とお礼を言いそびれたことを思い出した。
 そして機会をうかがいながらもなかなか言い出せず、重い沈黙に支配された馬車での三日間は過ぎてしまった。


   ◇


 シエスタが沈黙をどうにかしようと思ったのか、もうすぐつくはずです、とかそろそろ村の近くにある遺跡が見えてくるはずです、すごく大きいですよ、とか同じことを何度も話し掛けてくる。
 それにムスタディオは珍しく応じていた。まともな会話が成立しているのはこの道中ほとんど始めてのことだったが、ムスタディオはそれに気付いていない。
 さっきから猛烈に良い予感と、嫌な予感がしていた。
 その二律背反が起こす奇妙な違和感は自分でも耐え難く、いつもの自問自答を打ち切ってシエスタと会話することにしていたのだった。しかし、その内容も予感のせいであまり記憶に留まらない。

 ――そうして。
『それ』が見えた時、ムスタディオは我を忘れた。


   ◇


 ムスタディオが馬車の扉を開け放ち、飛び降りた。
 シエスタがあっけに取られている内にもの凄い勢いで走り出し、あっという間に馬車の進行方向へ消えていく。
 むちゃくちゃな走りっぷりだった。なりふり構わずといった様相だと妙な観察眼で見ている内にシエスタははっとなり、

「お、追ってください、あの人を!」

 馬車馬の脚を早めてもらい、後を追う。
 ムスタディオはかなりの距離を走っていた。事情も「ごめんけど、きっと冗談みたいに聞こえるよ」と何一つ教えてくれなかったから、何が起こっているのか全く分からない。彼をこうさせるものは何なのだろうかと思う。
 追いついた馬車からシエスタが降りると、ムスタディオは汗まみれで地面に手を突いていた。ぜぇぜぇと荒く胸を上下させている。
 その手が上がり、前方を指差す。

「あ、あれ……は、」
「あ、はい。あれはですね」

 ムスタディオが指を指した物を見ながら、シエスタは答える。
 眼前。見える小さな集落は、タルブの村だ。
 そしてその隣。
 見上げるとそこには――この世界で言う「フネ」が三隻、鎮座していた。

 何でも、六十年前に突如として墜落して来た来たらしい。
 しかし内二隻は損傷が酷い上に、製造から何百年も経過しているような朽ち方から、これは空を飛んでいたものではないという判断がされた。天界から落ちてきた神の艦か何かか、とやってきた研究者は首をかしげていたそうだ。
 そしてそのフネの傍らで、シエスタの祖母は瀕死の重傷で倒れているところを発見されたのだ。
 シエスタは「遺跡」の名前を呼ぶ。


   ◇


「この辺りでは『地に墜ちた箱舟』なんて呼ばれてます」

 その声は、ムスタディオの耳を右から左に素通りした。
 彼は呼吸を整えるのも忘れ、顔を上げる。「遺跡」を見上げながら、口を動かす。

「こ、これ、レの、国の、う、う」

 失われた聖地、最後の戦いの場に。
 言葉にならない。

「そ、それよりも大丈夫ですかムスタディオさん!? あの、すぐお水を――」

 答える余力もない。
 うろたえるシエスタを尻目に、自分の世界のこれ以上ない痕跡を前に、ムスタディオはただ動揺を隠せない。






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